話題の本【書評】(2024年9月~) - 2024.10.31
京都 永観堂禅林寺史
紅葉や「見返り阿弥陀」で有名な永観堂禅林寺の創建から現在の姿まで、豊富な史料と逸話とともに語り尽くす。通史編と史料編から成る重厚な一書!
はじめに
第一章 黎明「定額寺・禅林寺」
一、禅林寺のはじまり
藤原関雄の別業/開山真紹僧都/「禅林寺式」に見る理想/僧伽の確立/真紹から宗叡へ/池上寬忠と禅林寺
二、貴族の憩いの場
禅林寺と勧学会/傑僧深覚の登場/深覚と実資の交友/天皇の七七忌日供養/宮大僧都深観
第二章 真言から念仏へ
一、中興永観律師
永観遅し/東大寺で学ぶ/稀代の名別当永観/禅林寺での永観/温室の創設/往生講を営む
二、念仏ひとすじの道
禅林寺の苦境/静遍の転向/禅林寺に入寺
第三章 証空上人の教え
一、浄土宗西山派の伝統
法然上人の高弟/証空上人の説かれたこと/
善恵房と呼ばれて──『明月記』が伝える証空上人/証空上人と九条道家
二、当麻曼陀羅の発見
証空上人と当麻曼陀羅/当麻曼陀羅と『観経疏』/禅林寺と当麻曼陀羅
宇都宮実信房?生と証空上人
三、禅林寺と九条家
道誉と道智/怨霊とされた道智/第十六世の謎
第四章 雌伏……時代の波に翻弄されて
一、足利尊氏の寄進状
流祖浄音上人/二つの禅林寺/足利尊氏と禅林寺/寄進のねらい/若王子神社と尊氏/地頭職の死守/押妨をめぐる攻防/幕府に訴える/太田小四郎入道跡の謎
二、進む荒廃
『禅林寺縁起』に見る復興/三条家と禅林寺/応仁の乱による焼亡/『融通念仏縁起』と『融通念仏勧進帳』/禅林寺から東山無量寿院へ──『実隆公記』と禅林寺/みかえり阿弥陀はどこに/復興の歩み/融舜の手紙
第五章 日本一流の学席へ
一、三条西家の尽力
宏善の登場/禁中談義/香衣の勅許/二尊院の復興/三条西公条と禅林寺
二、勧学院の設立
甫叔の出自/正親町天皇の綸旨/信長の入洛/石風呂の経営/一流の学席へ
三、豊臣から徳川へ
土地問題の勃発/秀頼と当麻曼陀羅/日本三幅のひとつ/家康の登場
第六章 徳川時代に生きる
一、家康の寺院政策
寺院法度の制定/浄土宗西山派諸法度/勧学院の隆盛
二、寺院経済の好転
衆頭寮にあった古帳/甫叔と木下順庵のつながり/木下順庵が愛した禅林寺
三、化政文化の頃
画僧、玉? /旭応の江戸拝礼
四、みかえり阿弥陀の出開帳
江戸での出開帳/大坂での出開帳/開帳が盛んになった背景/開帳の手続き/江戸出開帳と役者の仕事/なくした舎利粒/本尊さまの御借金
第七章 混迷……激動の明治
一、動乱の渦のなかで
大田垣?月尼と禅林寺/政治都市・京都/公武合体と尊王攘夷/諸大名の上洛/禁門の変/大政奉還へ
二、仏教と明治維新
排仏思想の背景/排仏思想の高まり/神仏分離/排仏棄釈/政府の方針転換/大教院の成立/三条の教則/大教院と学校問題/大教院の挫折/禅林寺の対応
三、京都の政治と仏教
京都の排仏状況/寺社保護政策へ/京都療病院の設立/日本初の公立精神病院/私立癲狂院の設立/日岡峠開墾と円山吉水温泉
四、揺らぐ寺院経済
社寺領上知令/引裂き上知/禅林寺の境内地/禅林寺の寺院明細帳/文化財の保護/日清、日露戦争と禅林寺
五、宗派分立、合同の歴史
四箇本山体制の時代/所属をめぐる問題
第八章 大義……大正から昭和へ
一、国家家族主義と仏教
戊辰詔書の渙発/仏教公認教運動/三教会同
二、軍費増大と思想統制の強化
帝国主義の勃興/大正デモクラシー
三、大正時代の仏教
仏教思想の再認識/普選運動と僧侶の被選挙権/京都仏教界の福祉事業 /仏教護国団と京都養老院の開設
四、大正時代の禅林寺
熱血の人・耆山管長/境内地の拡充/政府の教育政策/聖峯中学の誕生/勧学院講堂取り壊し問題/禅林宗学院の開設
五、暗黒の時代
ファシズムへの道/国民精神総動員運動/軍国教育の現状
六、寺院を取り巻く環境
相次ぐ財団設立/宗教団体法と宗派合同/境内地処分法
七、仏教の戦争協力
戦時下の仏教者の思想/監視される宗教教化と動員/京都にも空襲が/空襲下の寺院
第九章 復興……現代の歩み
一、戦後の寺院
占領時代の政策/日本国憲法による保障
二、禅林寺の再出発
仏教の平和活動/荒廃から立ち上がる/みかえり運動の展開/
紅葉の永観堂
史料編
一禅林寺歴代一覧
二『禅林寺正選歴代記』と『前記』『後記』対照
三禅林寺年表
四法然上人・証空上人関係年表
五『洛東禅林寺略記』概要・抜粋
六幻の楼門、実在した!
七聖衆来迎山永観堂顧本尊略縁起
八『禅林寺蔵中画鋪並ニ具度目録』『禅林寺歴代造営並ニ寄附物ノ略記』
コラム論義問答と学寮
九系図
十真紹僧都と高雄神護寺の名鐘
十一宗叡僧正の功業
十二永観『往生講式(私記)』の伝来、および養福寺本について
十三永観律師業績のシンボル
十四知られざる「永観律師」の余光
十五御扶持人棟梁・弁慶の出自と臥龍廊
コラム異彩を放った人師、稲村修道師
十六洛陽六阿弥陀巡拝
十七禅林寺経蔵(千仏洞)建立時の『蔵経賛』
十八禅林寺、三つの梵鐘のなぞ
十九俊鳳上人の道蹟と創建の内野祥光寺の盛衰について
二十天保九年宗門人別御改帳
二十一禅林寺御本尊の京都御所・江戸城での御開帳
二十二禅林寺獅子門歴代句碑について
二十三『両山諸国末寺鑑』(養福寺本)について
二十四京都西山門中寺院の輪番法要と権限
二十五祖師堂(御影堂)建立、法然上人七〇〇年大遠忌裏ばなし
二十六傾倒したはずの祖師堂(御影堂)、今も「世継地蔵・上徳寺」で健在
二十七熱血の人・近藤耆山管長
二十八聖峯中学校の顛末と後日譚(通史編第八章四などの参考史料)
二十九禅林寺と光明寺の訴訟における判決正本(通史編第七章五の参考史料)
三十紀州檀林総持寺傘下一六〇ヵ寺 両山末寺から光明寺本山へ所属
(通史編第七章五の参考史料)
三十一離脱した名刹寺院
三十二歴代上人墓
三十三禅林寺境内の主な墓録
三十四小森桃塢の墓
三十五柏木如亭の墓発見!
三十六京都療病院の設立(通史編第七章の参考史料)
三十七『永観堂修営発願有志録』
三十八幻に終わった西山派「教会講社」の組織化
三十九仏教の戦争協力(通史編第八章七の参考史料)
四十特別寺宝展の開催
四十一祖師像胎内から文書と遺歯が発見される
四十二借屋人(故宇都宮シュク相続人)との立退調停
四十三ライトアップの先駆け、永観堂!
四十四日中友好世界平和大法会
四十五画仙堂の建立と、関口画伯による「浄土変相図」奉納
四十六本山「茶室」の行方
四十七主な参考文献
あとがき
第一章 黎明「定額寺・禅林寺」
一、禅林寺のはじまり
藤原関雄の別業/開山真紹僧都/「禅林寺式」に見る理想/僧伽の確立/真紹から宗叡へ/池上寬忠と禅林寺
二、貴族の憩いの場
禅林寺と勧学会/傑僧深覚の登場/深覚と実資の交友/天皇の七七忌日供養/宮大僧都深観
第二章 真言から念仏へ
一、中興永観律師
永観遅し/東大寺で学ぶ/稀代の名別当永観/禅林寺での永観/温室の創設/往生講を営む
二、念仏ひとすじの道
禅林寺の苦境/静遍の転向/禅林寺に入寺
第三章 証空上人の教え
一、浄土宗西山派の伝統
法然上人の高弟/証空上人の説かれたこと/
善恵房と呼ばれて──『明月記』が伝える証空上人/証空上人と九条道家
二、当麻曼陀羅の発見
証空上人と当麻曼陀羅/当麻曼陀羅と『観経疏』/禅林寺と当麻曼陀羅
宇都宮実信房?生と証空上人
三、禅林寺と九条家
道誉と道智/怨霊とされた道智/第十六世の謎
第四章 雌伏……時代の波に翻弄されて
一、足利尊氏の寄進状
流祖浄音上人/二つの禅林寺/足利尊氏と禅林寺/寄進のねらい/若王子神社と尊氏/地頭職の死守/押妨をめぐる攻防/幕府に訴える/太田小四郎入道跡の謎
二、進む荒廃
『禅林寺縁起』に見る復興/三条家と禅林寺/応仁の乱による焼亡/『融通念仏縁起』と『融通念仏勧進帳』/禅林寺から東山無量寿院へ──『実隆公記』と禅林寺/みかえり阿弥陀はどこに/復興の歩み/融舜の手紙
第五章 日本一流の学席へ
一、三条西家の尽力
宏善の登場/禁中談義/香衣の勅許/二尊院の復興/三条西公条と禅林寺
二、勧学院の設立
甫叔の出自/正親町天皇の綸旨/信長の入洛/石風呂の経営/一流の学席へ
三、豊臣から徳川へ
土地問題の勃発/秀頼と当麻曼陀羅/日本三幅のひとつ/家康の登場
第六章 徳川時代に生きる
一、家康の寺院政策
寺院法度の制定/浄土宗西山派諸法度/勧学院の隆盛
二、寺院経済の好転
衆頭寮にあった古帳/甫叔と木下順庵のつながり/木下順庵が愛した禅林寺
三、化政文化の頃
画僧、玉? /旭応の江戸拝礼
四、みかえり阿弥陀の出開帳
江戸での出開帳/大坂での出開帳/開帳が盛んになった背景/開帳の手続き/江戸出開帳と役者の仕事/なくした舎利粒/本尊さまの御借金
第七章 混迷……激動の明治
一、動乱の渦のなかで
大田垣?月尼と禅林寺/政治都市・京都/公武合体と尊王攘夷/諸大名の上洛/禁門の変/大政奉還へ
二、仏教と明治維新
排仏思想の背景/排仏思想の高まり/神仏分離/排仏棄釈/政府の方針転換/大教院の成立/三条の教則/大教院と学校問題/大教院の挫折/禅林寺の対応
三、京都の政治と仏教
京都の排仏状況/寺社保護政策へ/京都療病院の設立/日本初の公立精神病院/私立癲狂院の設立/日岡峠開墾と円山吉水温泉
四、揺らぐ寺院経済
社寺領上知令/引裂き上知/禅林寺の境内地/禅林寺の寺院明細帳/文化財の保護/日清、日露戦争と禅林寺
五、宗派分立、合同の歴史
四箇本山体制の時代/所属をめぐる問題
第八章 大義……大正から昭和へ
一、国家家族主義と仏教
戊辰詔書の渙発/仏教公認教運動/三教会同
二、軍費増大と思想統制の強化
帝国主義の勃興/大正デモクラシー
三、大正時代の仏教
仏教思想の再認識/普選運動と僧侶の被選挙権/京都仏教界の福祉事業 /仏教護国団と京都養老院の開設
四、大正時代の禅林寺
熱血の人・耆山管長/境内地の拡充/政府の教育政策/聖峯中学の誕生/勧学院講堂取り壊し問題/禅林宗学院の開設
五、暗黒の時代
ファシズムへの道/国民精神総動員運動/軍国教育の現状
六、寺院を取り巻く環境
相次ぐ財団設立/宗教団体法と宗派合同/境内地処分法
七、仏教の戦争協力
戦時下の仏教者の思想/監視される宗教教化と動員/京都にも空襲が/空襲下の寺院
第九章 復興……現代の歩み
一、戦後の寺院
占領時代の政策/日本国憲法による保障
二、禅林寺の再出発
仏教の平和活動/荒廃から立ち上がる/みかえり運動の展開/
紅葉の永観堂
史料編
一禅林寺歴代一覧
二『禅林寺正選歴代記』と『前記』『後記』対照
三禅林寺年表
四法然上人・証空上人関係年表
五『洛東禅林寺略記』概要・抜粋
六幻の楼門、実在した!
七聖衆来迎山永観堂顧本尊略縁起
八『禅林寺蔵中画鋪並ニ具度目録』『禅林寺歴代造営並ニ寄附物ノ略記』
コラム論義問答と学寮
九系図
十真紹僧都と高雄神護寺の名鐘
十一宗叡僧正の功業
十二永観『往生講式(私記)』の伝来、および養福寺本について
十三永観律師業績のシンボル
十四知られざる「永観律師」の余光
十五御扶持人棟梁・弁慶の出自と臥龍廊
コラム異彩を放った人師、稲村修道師
十六洛陽六阿弥陀巡拝
十七禅林寺経蔵(千仏洞)建立時の『蔵経賛』
十八禅林寺、三つの梵鐘のなぞ
十九俊鳳上人の道蹟と創建の内野祥光寺の盛衰について
二十天保九年宗門人別御改帳
二十一禅林寺御本尊の京都御所・江戸城での御開帳
二十二禅林寺獅子門歴代句碑について
二十三『両山諸国末寺鑑』(養福寺本)について
二十四京都西山門中寺院の輪番法要と権限
二十五祖師堂(御影堂)建立、法然上人七〇〇年大遠忌裏ばなし
二十六傾倒したはずの祖師堂(御影堂)、今も「世継地蔵・上徳寺」で健在
二十七熱血の人・近藤耆山管長
二十八聖峯中学校の顛末と後日譚(通史編第八章四などの参考史料)
二十九禅林寺と光明寺の訴訟における判決正本(通史編第七章五の参考史料)
三十紀州檀林総持寺傘下一六〇ヵ寺 両山末寺から光明寺本山へ所属
(通史編第七章五の参考史料)
三十一離脱した名刹寺院
三十二歴代上人墓
三十三禅林寺境内の主な墓録
三十四小森桃塢の墓
三十五柏木如亭の墓発見!
三十六京都療病院の設立(通史編第七章の参考史料)
三十七『永観堂修営発願有志録』
三十八幻に終わった西山派「教会講社」の組織化
三十九仏教の戦争協力(通史編第八章七の参考史料)
四十特別寺宝展の開催
四十一祖師像胎内から文書と遺歯が発見される
四十二借屋人(故宇都宮シュク相続人)との立退調停
四十三ライトアップの先駆け、永観堂!
四十四日中友好世界平和大法会
四十五画仙堂の建立と、関口画伯による「浄土変相図」奉納
四十六本山「茶室」の行方
四十七主な参考文献
あとがき