『教行信証』の六巻の壁を取り払い、全体を俯瞰したとき、全体を貫く大きな三つの流れ。それこそが、親鸞の真意を読み解く鍵であることを初めて明らかにした画期的な論考。
『教行信証』と共に
親鸞の問いに出あう
『教行信証』と向き合って三十年
問いに出あう読み方
『教行信証』の記述形式への着目
意味の切れ目への着目
引文の配列への着目
『教行信証』を縦に貫いて展開する課題
引文のつながりを流れとして見る
三つの大きな流れと本願の確かめ
本願力回向の呼応(流れ1)
真実の教えとの出あい
本願力回向の呼応(称名・聞名の二願)
名号として回向される本願の精神
「行・信」の二巻への着想の由来
「信巻」に八番問答の第一問答が引かれないのはなぜか
「普共諸衆生」の「衆生」とは誰か
本願力回向成就の相(流れ2)
往相の果相
「他力本願」への誤解
「自力無効」への誤解
なぜ曇鸞は仙経を焼いたのか
「難行道」の「難」の正体
本願力回向成就と他力
「不回向」から「本願力回向」へ
自利・利他の成就としての本願力回向
阿闍世の救いは何によって成り立ったか
他力によって成就する果の平等とは
還相の果相
なぜ第二十二願が還相回向の願なのか
「未証浄心の菩薩」と還相回向
「真仏土巻」の課題
阿弥陀の浄土は報土か化土か
「報土」という概念の成立
「光明・寿命の願」なぜ二願一名なのか
『教行信証』の構造と行改めの意味
唯除と仏智疑惑(流れ3)
弥陀の本願の救いから除外される者はいるか
誹謗正法と八番問答
「?蛄春秋を識らず」の譬喩の意味
誹謗正法と抑止門釈の問答
仏智疑惑
「信巻」から「化身土巻」への展開
意識化されることがない罪
なぜ「至心発願の願」なのか(流れ3)
第十九願の意義
宗教心の芽生え(発菩提心)
韋提希の発願
発菩提心の行方
往生を願う心の行方
極難信の法から問われる信(流れ3)
第二十願の意義
罪福を信じて念仏することは否定されるのか
『阿弥陀経』の隠れた意義
「なぜ極難信の法」といわれるのか
「信心一異の諍論」の顛末
勢観房、念仏房の信心とは同一か異なるか
三願転入再考
伝統的な三願転入の理解への疑問
北陸の門徒衆の間で語られた「二十の願」の意味
無数の往生人に出あう世界
称名念仏の勧めは声を出せない人を排除するか
念 と 声
「私の子どもは声を出せません」
誰も排除されない世界
平等に向き合う生き方
釈尊はなぜ餓死しなかったのか
分け隔てのない敬意
無価値の価値
本願の大海に浮かぶ
おわりに
あとがき
巻末資料
【資料1】『教行信証』行改めの形状
【資料2】『教行信証』構造把握(基本) 【資料3】『教行信証』の三分割構成の概念図(大河の分岐)