法藏館のあゆみ
西暦 (年代) |
主な出来事 |
時代背景 |
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大坂落城のころに本家丁子屋初代西村九郎右衛門、大坂より京都へ転居。のち五条橋通扇屋町(現下京区万寿寺進され、東本願寺を創建(東西町)で一向宗の仏書肆を開業と伝える。 |
徳川家康より東六条に寺地を寄進され、東本願寺を創建(東西本願寺分立) 1615年大坂夏の陣。 |
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丁子屋、『般舟三昧』(善導著)刊行。当社最古の現存版本。 | |||||
この頃、八代九郎右衛門、宗旨を浄土宗から真宗大谷派に改宗。 | |||||
初代西村七兵衛(幼名末吉、万次郎)、丁子屋10代西村九郎右衛門の三男として誕生。 | |||||
初代七兵衛(23歳)、分家独立して丁子屋七兵衛を名乗り、京都下京上珠数屋町東洞院西入ルで本家と同じ仏書肆を開業。 | 1853年米使ペリー、浦賀に来航 | ||||
この頃、丁子屋七兵衛は雲華堂(一説に雪華堂)の商号を使用、本家丁子屋の空華堂とともに「西村二書堂」の名で『分科入出二門偈大意』などを共同刊行。『第一書籍商社』名簿によれば、上珠数屋町西村七兵衛と記載。 | 出版条例公布。京都書林仲間が第一書籍商社を設立 | ||||
法藏館の店名は、7月刊行の日下痴龍編『再刻法要類文』の刊記に「京都書林法藏館西村七兵衛蔵版」と見えるのが早い。この頃、店の頃、店名を「法藏館」とするか。 | 内閣制度制定 | ||||
佐伯旭雅没(64歳)。 活版印刷業を兼帯、京都の仏教書出版で初めて出版・印刷の一体化をはかる。月刊雑誌『法藏』創刊、京都郵便局管内での第三種郵便物認可の嚆矢(『法藏』は昭和19年3月、通巻622号まで発行、定期刊行物として驚異的な長命を記録)。 |
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『真宗講座』の刊行開始。『現代布教全書』12巻の刊行開始。 | 1929年第1回普通選挙実施 世界恐慌 |
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東京神田鈴蘭通に東京支店を開設、その記念に妙源寺本『尊号真像銘文』(非売品)を復刻刊行。 | |||||
戦時企業整備で法藏館を中核に仏教書出版五社が統合、望月信亨師の命名で「東光書林」を設立。版配給株設立 | |||||
月刊誌『法藏』(明治24年創刊)雑誌部門の企業統合により622号をもって終刊。『望月仏教大辞典』第1巻、同第2巻を刊行、同第三巻を配給機関の日本出版配給会社へ搬入したが、空襲で焼失。この年、第2次企業整備で、京都では3社に統合された仏教出版社が東光書林一社に再編される。 | 企業整備、3664の出版社が、206社になる | ||||
東京支店、空襲で全焼。この年、敗戦直後の混乱期、七兵衛は仏教書により社会復興に寄与しようとの決意で、まず鎌倉に鈴木大拙師を訪ねる。 | 終戦、日本出版協会設立 | ||||
永田文昌堂、百華苑、平楽寺書店に呼びかけ4社で「仏書連盟」を結成、仏教書の普及に努める。 | |||||
法人組織に改め「株式会社法藏館」を設立、これを機に西村明(36歳)が社長に就任、四代西村七兵衛(63歳)は館主となる。 | 大阪万国博覧会開催 | ||||
星野元豊著『講解教行信證』全六巻の刊行開始。小売販売部門を「株式会社法藏館書店」として独立、二男・治が社長就任。『国宝三十帖策子』全32帙を複製刊行、128万円の価格が話題を呼ぶ。 | GNP戦後初のマイナス成長。 『日本書籍総目録』刊行 |
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新社屋落成、記念誌『仏教書出版360年』を刊行。京都府書店協同組合30周年記念老舗表彰受賞。 | 京都市電が全廃。東京八重洲ブックセンター開店 | ||||
法藏館東京事務所を日本橋に開設。 | 昭和天皇崩御、消費税施行 | ||||
明、四代七兵衛の1周忌を機に「第五代七兵衛」を襲名し、披露の宴を京都グランドホテルで開催。 | 日本出版文化史展 96京都 | ||||
第16回梓会出版文化賞特別賞を受賞。 | 人文・社会科学系の書籍取次会社、鈴木書店自己破産 | ||||
西村明高(43歳)が社長に就任、五代西村七兵衛(73歳)は会長となる。 | 草思社と新風舎破産 | ||||
400年を記念し、全国の書店で法蔵館フェアを開催。 東京国際ブックフェアに単独初出展 | 東日本大震災、経済産業省コンテンツ緊急電子化事業 | ||||
法蔵館文庫創刊。 | 2019年11月に発生した新型コロナウイルス(SARS-CoV-2) |