話題の本【書評】(2024年9月~) - 2024.10.31
歎異抄の近代
清沢満之から暁烏敏、倉田百三、三木清などを経て、戦後の野間宏、吉本隆明らにおける『歎異抄』の思想体験がいま読み直される。
序 章 なぜ「歎異抄の近代」なのか
第1章 〈清沢満之の1〉清沢満之をどう読むべきか
第2章 〈清沢満之の2〉「精神主義」的〈信〉の表明──清沢満之『精神主義』を読む
第3章 〈清沢満之の3〉清沢はなぜ儒家的〈公〉をいうのか──清沢満之『有限無限録』を読む
第4章 〈清沢満之の4〉天命に安んじて人事を尽くす──清沢満之「宗教的道徳(俗諦)論」を読む
第5章 〈暁烏敏の1〉『歎異抄』はいかに語り出されたのか──暁烏敏『歎異抄講話』『わが歎異抄』を読む
第6章 〈暁烏敏の2〉『歎異抄』が近代に語り出されるとき──暁烏敏『歎異抄講話』『わが歎異抄』再読
第7章 〈倉田百三〉『歎異抄』の文学化・〈愛〉の教説──倉田百三『出家とその弟子』を読む
第8章 〈丹羽文雄〉『歎異抄』と〈愛慾〉小説の成立──丹羽文雄『菩提樹』を読む
第9章 〈鈴木大拙〉なぜ「日本的霊性」なのか──鈴木大拙『日本的霊性』を読む
第10章 〈三木清〉私は宗教的傾向をもつ人間である──三木清「親鸞」を読む
第11章 〈野間宏の1〉わが塔はいかに立つのか──野間宏『わが塔はそこに立つ』を読む
第12章 〈野間宏の2〉〈過去〉との読み直し的和解──野間宏『わが塔はそこに立つ』再読
第13章 〈吉本隆明の1〉この〈思想劇〉をどう読むのか──吉本隆明『最後の親鸞』を読む
第14章 〈吉本隆明の2〉僧にあらず俗にあらず──吉本隆明『最後の親鸞』再読
第15章 〈滝沢克己〉親鸞一人がためなりけり──滝沢克己『「歎異抄」と現代』を読む
あとがきに代えて
第1章 〈清沢満之の1〉清沢満之をどう読むべきか
第2章 〈清沢満之の2〉「精神主義」的〈信〉の表明──清沢満之『精神主義』を読む
第3章 〈清沢満之の3〉清沢はなぜ儒家的〈公〉をいうのか──清沢満之『有限無限録』を読む
第4章 〈清沢満之の4〉天命に安んじて人事を尽くす──清沢満之「宗教的道徳(俗諦)論」を読む
第5章 〈暁烏敏の1〉『歎異抄』はいかに語り出されたのか──暁烏敏『歎異抄講話』『わが歎異抄』を読む
第6章 〈暁烏敏の2〉『歎異抄』が近代に語り出されるとき──暁烏敏『歎異抄講話』『わが歎異抄』再読
第7章 〈倉田百三〉『歎異抄』の文学化・〈愛〉の教説──倉田百三『出家とその弟子』を読む
第8章 〈丹羽文雄〉『歎異抄』と〈愛慾〉小説の成立──丹羽文雄『菩提樹』を読む
第9章 〈鈴木大拙〉なぜ「日本的霊性」なのか──鈴木大拙『日本的霊性』を読む
第10章 〈三木清〉私は宗教的傾向をもつ人間である──三木清「親鸞」を読む
第11章 〈野間宏の1〉わが塔はいかに立つのか──野間宏『わが塔はそこに立つ』を読む
第12章 〈野間宏の2〉〈過去〉との読み直し的和解──野間宏『わが塔はそこに立つ』再読
第13章 〈吉本隆明の1〉この〈思想劇〉をどう読むのか──吉本隆明『最後の親鸞』を読む
第14章 〈吉本隆明の2〉僧にあらず俗にあらず──吉本隆明『最後の親鸞』再読
第15章 〈滝沢克己〉親鸞一人がためなりけり──滝沢克己『「歎異抄」と現代』を読む
あとがきに代えて