2025年5月書店売上 - 2025.06.01
老乞食僧の命を繋いで百想
チェンマイの鐘と月の姿
著者 | プラ・アキラ・アマロー(笹倉明) 著 |
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出版社 | 論創社 |
ジャンル | 文学・随筆 各地域仏教 > 南方仏教 |
出版年月日 | 2025/06/20 |
ISBN | 9784846024437 |
判型・ページ数 | 4-6・334ページ |
定価 | 本体2,200円+税 |
在庫 | 在庫あり |
一念出家から始まる直木賞作家の生き様の跡。
その実、作家は如何にして苦境を乗り越えて生き継いだのか?多数派に非ざるが故の〝真実〟への希求。奥深い仏法と瞑想の真価を語る老僧の『百』の想いにその軌跡がある。激賞された直木賞作品から三十五周年の記念塚。六十七歳の出家から九年目――、
日本とタイの往来とブッタのお寺暮らしでの奥深い教えに基づき、テーラワーダ僧として、教えの中心の八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)を解説、ヴィパッサナー瞑想の実践方法など織り込んで、紹介する。
若き日の日本での様々な出会いと別れを仏道修行の合間に思い出しながら、綴った『老作家チェンマイ托鉢百景』『老修行僧のにんげん界百夜』に続く第3弾の随筆集。
その実、作家は如何にして苦境を乗り越えて生き継いだのか?多数派に非ざるが故の〝真実〟への希求。奥深い仏法と瞑想の真価を語る老僧の『百』の想いにその軌跡がある。激賞された直木賞作品から三十五周年の記念塚。六十七歳の出家から九年目――、
日本とタイの往来とブッタのお寺暮らしでの奥深い教えに基づき、テーラワーダ僧として、教えの中心の八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)を解説、ヴィパッサナー瞑想の実践方法など織り込んで、紹介する。
若き日の日本での様々な出会いと別れを仏道修行の合間に思い出しながら、綴った『老作家チェンマイ托鉢百景』『老修行僧のにんげん界百夜』に続く第3弾の随筆集。
まえがき
第一章 メーサー・ヨンという月と年始
〇父の命日はエープリル・フール
◇信念と気骨の人の背景
◇アメリカが畏おそれた精神性
〇ソンクラーン祭というタイ正月
◇いつもの数倍の布施攻め
◇砂塔を築くことの意味
◇仏像パレードと水掛け
◇祭の狂乱が語るもの
〇タイ正月に没した母を想う
◇おだやかな認知への路
◇仏法に基づく生き方
◇人は「哀れ」という真意
◇幸の天秤がない人生
〇タイ正月の経にみるもの
◇法の要目の経
◇因果の法の経
〇わが身を観察する段階
◇皮肉な代償としての風邪
◇主義に基づく対処法
〇父親の遺言に従ったFのこと
◇手術をめぐる妻との葛藤
◇思いがけない後遺症の存在
◇官の水は呑まないことの意味
第二章 プルッサパー・コムという月の追憶
〇軽井沢に旧友を訪ねて
◇わが身を改めて顧みる
◇Uの没落と国家なるもの
◇軽井沢という格差社会の象徴
〇暑いタイへ舞い戻った理由
〇ウィサーカ・ブーチャーという満月日
◇悟りへの道の経
〇出家記念日(八周年)に思う
◇六十七歳・幼児の門出
◇悔恨に苛まれた日々
◇すべては煩悩の仕業と知る
◇記念日らしい妙なる托鉢
〇作家にカンムリは要らないか
◇サッカ賞作家返上は無用か
第三章 ミトゥナー・ヨンという月の路
〇再出国、再帰国の途へ
〇ブッダのお弟子さん・再び奈良へ
◇無料宿屋の由来と今昔
◇家主である長姉を訪ねて
◇父母たちの供養ふたたび
〇旧友・戦場カメラマンの個展へ
◇民主カンボジア訪問時の記憶
◇大虐殺の有無と真相を考える
◇無明の世と一匹狼の悲哀
◇ブッダの教えの再認識
〇幼少年期・奈良時代への回帰
◇仏弟子にも出来に差がある
第四章 カラッカダー・コムという月の法
〇猛暑の夏は何が因か?
〇教えの中心は八正道
◎正見(サンマー・ティッティ)
◎正思惟(サンマー・サンカッパ)
◎正語(サンマー・ワーチャー)
◎正業(サンマー・カンマンタ)
◎正命(サンマー・アチーワ)
◎正精進(サンマー・ワーヤマ)
◎正念(サンマー・サティ)
◎正定(サンマー・サマーディ)
〇はじめての法事依頼
◇弔い方は自由であるべし
◇儀式にがんじがらめの非
◇死者を弔う法について
〇また再びの雨安居へ
◇風景を変えていく道
◇わが住職の母堂への供養
〇ワンプラと日曜と国王誕生日
第五章 シンハー・コムという月の恵み
〇獅子座がやって来て想う
〇尿は千載一遇の恵みか
◇もろもろの着眼事項
◇メスを入れない主義を継ぐ
第六章 カンヤー・ヨンという月の語り
〇三雨四晴の月へ
〇はじめてのお彼岸講演
〇演題1「仏教における幸福の条件」―午前の部―
◇タイにもあるお彼岸
◇人間を扱うのが仏教
◇人の一生は「苦」ゆえに……
◇利他と自利のバランス
◇煩悩及び不善心の種類
◇悟りには段階がある
◇涅槃(ニッバーナ)の意味
◇因果の法則と八正道
〇演題2「ヴィパッサナー瞑想とその実践」―午後の部―
◇悟りへの道にあるもの
◇無常と苦と無我の理解
◇ヴィパッサナー瞑想の意味内容
◇瞑想の初歩と実践 260
◇ステップ2、3の歩きへ
◇座り瞑想の基礎と手順
◇邪魔をされた時の対処法
◇瞑想の最終目標へ
◇歩き瞑想の中盤から終盤へ
◇座り瞑想、次の段階へ
◇日常生活における効用
◇利他を思う心の瞑想
〇半世紀という人の歳月
◇はるか三畳間時代の思い出
◇「道」の名残から得たもの
◇中村八大の名曲・日の目を願う
第七章 トゥラー・コムという月の行方
〇洪水という不測の天災
〇非正統派的老僧の捨て身の札
◇起死回生の一手となるか
◇結果あるのみという理解
◇我が仕事の命はアタマと眼
◇正老無病死の彼岸まで
◇少数派の自覚と行く道
あとがき
第一章 メーサー・ヨンという月と年始
〇父の命日はエープリル・フール
◇信念と気骨の人の背景
◇アメリカが畏おそれた精神性
〇ソンクラーン祭というタイ正月
◇いつもの数倍の布施攻め
◇砂塔を築くことの意味
◇仏像パレードと水掛け
◇祭の狂乱が語るもの
〇タイ正月に没した母を想う
◇おだやかな認知への路
◇仏法に基づく生き方
◇人は「哀れ」という真意
◇幸の天秤がない人生
〇タイ正月の経にみるもの
◇法の要目の経
◇因果の法の経
〇わが身を観察する段階
◇皮肉な代償としての風邪
◇主義に基づく対処法
〇父親の遺言に従ったFのこと
◇手術をめぐる妻との葛藤
◇思いがけない後遺症の存在
◇官の水は呑まないことの意味
第二章 プルッサパー・コムという月の追憶
〇軽井沢に旧友を訪ねて
◇わが身を改めて顧みる
◇Uの没落と国家なるもの
◇軽井沢という格差社会の象徴
〇暑いタイへ舞い戻った理由
〇ウィサーカ・ブーチャーという満月日
◇悟りへの道の経
〇出家記念日(八周年)に思う
◇六十七歳・幼児の門出
◇悔恨に苛まれた日々
◇すべては煩悩の仕業と知る
◇記念日らしい妙なる托鉢
〇作家にカンムリは要らないか
◇サッカ賞作家返上は無用か
第三章 ミトゥナー・ヨンという月の路
〇再出国、再帰国の途へ
〇ブッダのお弟子さん・再び奈良へ
◇無料宿屋の由来と今昔
◇家主である長姉を訪ねて
◇父母たちの供養ふたたび
〇旧友・戦場カメラマンの個展へ
◇民主カンボジア訪問時の記憶
◇大虐殺の有無と真相を考える
◇無明の世と一匹狼の悲哀
◇ブッダの教えの再認識
〇幼少年期・奈良時代への回帰
◇仏弟子にも出来に差がある
第四章 カラッカダー・コムという月の法
〇猛暑の夏は何が因か?
〇教えの中心は八正道
◎正見(サンマー・ティッティ)
◎正思惟(サンマー・サンカッパ)
◎正語(サンマー・ワーチャー)
◎正業(サンマー・カンマンタ)
◎正命(サンマー・アチーワ)
◎正精進(サンマー・ワーヤマ)
◎正念(サンマー・サティ)
◎正定(サンマー・サマーディ)
〇はじめての法事依頼
◇弔い方は自由であるべし
◇儀式にがんじがらめの非
◇死者を弔う法について
〇また再びの雨安居へ
◇風景を変えていく道
◇わが住職の母堂への供養
〇ワンプラと日曜と国王誕生日
第五章 シンハー・コムという月の恵み
〇獅子座がやって来て想う
〇尿は千載一遇の恵みか
◇もろもろの着眼事項
◇メスを入れない主義を継ぐ
第六章 カンヤー・ヨンという月の語り
〇三雨四晴の月へ
〇はじめてのお彼岸講演
〇演題1「仏教における幸福の条件」―午前の部―
◇タイにもあるお彼岸
◇人間を扱うのが仏教
◇人の一生は「苦」ゆえに……
◇利他と自利のバランス
◇煩悩及び不善心の種類
◇悟りには段階がある
◇涅槃(ニッバーナ)の意味
◇因果の法則と八正道
〇演題2「ヴィパッサナー瞑想とその実践」―午後の部―
◇悟りへの道にあるもの
◇無常と苦と無我の理解
◇ヴィパッサナー瞑想の意味内容
◇瞑想の初歩と実践 260
◇ステップ2、3の歩きへ
◇座り瞑想の基礎と手順
◇邪魔をされた時の対処法
◇瞑想の最終目標へ
◇歩き瞑想の中盤から終盤へ
◇座り瞑想、次の段階へ
◇日常生活における効用
◇利他を思う心の瞑想
〇半世紀という人の歳月
◇はるか三畳間時代の思い出
◇「道」の名残から得たもの
◇中村八大の名曲・日の目を願う
第七章 トゥラー・コムという月の行方
〇洪水という不測の天災
〇非正統派的老僧の捨て身の札
◇起死回生の一手となるか
◇結果あるのみという理解
◇我が仕事の命はアタマと眼
◇正老無病死の彼岸まで
◇少数派の自覚と行く道
あとがき