新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
闇のなかの光
仏教を、仏に成る道として思索し続けた著者晩年の講説集。人間のなかにある闇と光を見つめ、生活のなかで「悪」を生きることの実際的な意味を親鸞の教えに尋ねる。
闇に届く光 神戸和麿先生を偲ぶ
第I部 本願の仏地
名号の開く世界 無碍の光明
一、よきひとの仰せ
親鸞における真実
苦悩と絶望を越える本願の名号
二、無碍光如来の御名に生きる
御名を称え生きること
闇から光へ
三、願生道
人が求めて生きているもの
南無阿弥陀仏に仏の約束を知る
罪の身を転成させるはたらき
阿闍世の救い 世雄の悲
一、王舎城の悲劇 仏法と王権
仏法の秩序と王権の支配との対立
王舎城の悲劇が問いかける課題
二、阿闍世王の救い
人と人との間に生まれる悲劇
阿闍世の不安を癒す教え
六師外道の思想から仏陀の教えへ
いのちの目覚め
いのちを尊ぶ 本願の宗教
一、光と闇 道を求めて
「人身受けがたし」の言葉の重さ
「たましい」の帰趨する場を求めて
二、本願の歴史 難思の弘誓
仏道の苦悶
本願の歴史
釈尊の入涅槃と不入涅槃
三、法蔵菩薩
本願とは何か
法蔵の二つの意味
新しいいのちの源泉
第Ⅱ部 本願の生活者
樹心仏地 値遇と自覚
『教行信証』が引き継いだ課題
正定業としての不回向の行
法然の一願建立、親鸞の二願分相
諸仏称名の願 称名念仏
諸仏の讃嘆と群賊悪獣の聞名
本願の生活者 『恵信尼消息』に聴く
親鸞聖人の『我が信念』
寛喜三年の反省
阿弥陀の願心に目覚めよ
「名号」とは如来の願心、清浄意欲を呼び起こす
弥陀の本願に目覚めた歩み
如来の悲願は大地の如し
不安を包んでの安心の道
本願念仏に生きる人の誕生 今、いのちがあなたを生きている
二十一世紀という時代
精神界を耕す
どこまでも自我分別で較べ合う私たち
明行足 処世の立脚地
業報の命と阿弥陀のいのち
光明、名号のはたらき 信心の業識
仏のいのちの世界へ帰る道
補遺
親鸞の仏教史観『教行信証』
初出一覧
あとがき
第I部 本願の仏地
名号の開く世界 無碍の光明
一、よきひとの仰せ
親鸞における真実
苦悩と絶望を越える本願の名号
二、無碍光如来の御名に生きる
御名を称え生きること
闇から光へ
三、願生道
人が求めて生きているもの
南無阿弥陀仏に仏の約束を知る
罪の身を転成させるはたらき
阿闍世の救い 世雄の悲
一、王舎城の悲劇 仏法と王権
仏法の秩序と王権の支配との対立
王舎城の悲劇が問いかける課題
二、阿闍世王の救い
人と人との間に生まれる悲劇
阿闍世の不安を癒す教え
六師外道の思想から仏陀の教えへ
いのちの目覚め
いのちを尊ぶ 本願の宗教
一、光と闇 道を求めて
「人身受けがたし」の言葉の重さ
「たましい」の帰趨する場を求めて
二、本願の歴史 難思の弘誓
仏道の苦悶
本願の歴史
釈尊の入涅槃と不入涅槃
三、法蔵菩薩
本願とは何か
法蔵の二つの意味
新しいいのちの源泉
第Ⅱ部 本願の生活者
樹心仏地 値遇と自覚
『教行信証』が引き継いだ課題
正定業としての不回向の行
法然の一願建立、親鸞の二願分相
諸仏称名の願 称名念仏
諸仏の讃嘆と群賊悪獣の聞名
本願の生活者 『恵信尼消息』に聴く
親鸞聖人の『我が信念』
寛喜三年の反省
阿弥陀の願心に目覚めよ
「名号」とは如来の願心、清浄意欲を呼び起こす
弥陀の本願に目覚めた歩み
如来の悲願は大地の如し
不安を包んでの安心の道
本願念仏に生きる人の誕生 今、いのちがあなたを生きている
二十一世紀という時代
精神界を耕す
どこまでも自我分別で較べ合う私たち
明行足 処世の立脚地
業報の命と阿弥陀のいのち
光明、名号のはたらき 信心の業識
仏のいのちの世界へ帰る道
補遺
親鸞の仏教史観『教行信証』
初出一覧
あとがき