重版情報(2020年4月~) - 2024.11.25
人間の物差し 仏さまの物差し
本書は2001年(平成13年)5~8月にかけておこなわれた「人間を経営する会」の四回連続講座を収録したものである。
明願寺さん…植田義浩
善人・悪人
仏教が役割を果たすべき時
人間に生まれた意味とは
人間の物差し・仏さまの物差し
「しかるを」
私が救われない限り
常識に疑いをはさむ
掲示伝道板ではない、壁新聞
「とは限らない」
助けてもらう必要性
迷惑をかけていない
人間を懸命に観察した
師弟関係
親鸞は弟子一人ももたず
弟子が誕生したから師が生まれる
十余か国のさかいを超えて
仏さまに会えるという思い
命がけで
だから私は学んだ
信じることができていない
弟子のこころに生きる
旅の中で学んでいく
智者と愚者
聞くだけで終わるならば
本当の意味での自分自身を発見
どこまでも一人の求道者として生きる
一緒の信心
一般常識に縛られてしまっている
愚者になって往生す
光にあうことで見えてくる
現代人に欲しい向下心
愚かな者として生きていく
我とわれら
私は人々と共に
誰と共には生きてこなかったか
「われら」
何で信心が一緒なのか
私もその一人だ
生きるために奪う
わが身の罪の深さ
わが家わが町わが国のみの幸福
私は一人ではなかった
親鸞の道を歩まん
あとがき
善人・悪人
仏教が役割を果たすべき時
人間に生まれた意味とは
人間の物差し・仏さまの物差し
「しかるを」
私が救われない限り
常識に疑いをはさむ
掲示伝道板ではない、壁新聞
「とは限らない」
助けてもらう必要性
迷惑をかけていない
人間を懸命に観察した
師弟関係
親鸞は弟子一人ももたず
弟子が誕生したから師が生まれる
十余か国のさかいを超えて
仏さまに会えるという思い
命がけで
だから私は学んだ
信じることができていない
弟子のこころに生きる
旅の中で学んでいく
智者と愚者
聞くだけで終わるならば
本当の意味での自分自身を発見
どこまでも一人の求道者として生きる
一緒の信心
一般常識に縛られてしまっている
愚者になって往生す
光にあうことで見えてくる
現代人に欲しい向下心
愚かな者として生きていく
我とわれら
私は人々と共に
誰と共には生きてこなかったか
「われら」
何で信心が一緒なのか
私もその一人だ
生きるために奪う
わが身の罪の深さ
わが家わが町わが国のみの幸福
私は一人ではなかった
親鸞の道を歩まん
あとがき