■棚卸による出荷一時停止のおしらせ■ - 2026.08.24
姥棄て考【岩波新書 新赤版2126】
老いの場所をさがして
はじまりとしての姨捨山
棄老は伝説か事実か
『大和物語』/信州更級の「姨捨山」
家族間の葛藤で棄てられた姨=伯母
棄てる先は、なぜ山なのか
「姨捨山」から謡曲『姨捨』へ
棄老をめぐるさまざまな共同幻想
愛とモッコのあいだに
柳田国男の「親棄山」
外来型〈孫とモッコ〉〈老人の知恵〉
日本型〈婆と小槌〉〈奥山の栞〉
昔話から推測する母系制、父系制
棄老譚をめぐる家族/共同体/国家
棄老の理由を考える
サバイバルの作法としての可能性
国家の法に組
みこむことの矛盾
棄老における死生観と他界観
棄老の場所とその呼び名
死と埋葬の濃密なイメージ
死という時間・他界という空間への旅
〈更級の姨捨山〉〈婆と小槌〉の他界観
木の股に棄てられる老人と山の神
境界となる年齢
木の股にまつわる棄老伝説
股の木に託された死と再生
イニシエーションとしての事例
棄老から祝福への転倒
語られざる歴史の一端に触れたい
棄老から隠居へ、小屋を立てる
失われた古老の役割
弱者となった老人の習俗
婚姻形態と隠居のあり方
隠居制度以前の小屋住まい
通過儀礼として小屋を焼く
姥棄てから浮上する家族制度
嫁と姑の主婦権をめぐる争い
嫁入婚によって浮上した主婦権
婆を山で焼くということ
豊穣な老いのフォークロアへ
第二章 姥棄てはいかに描かれているか
棄老譚の黄昏のなかで
文学から読む棄老の精神史の残像
『遠野物語』以前/以後
『遠野物語』/棄老譚の近代を背負って
デンデラ野伝承の孤立と異端
異質で稀有な『遠野物語』
労働し、生き延びる老人
ダンノハナ/デンデラ野
生/老/死を背負った場所
集合的記憶としてのデンデラ野
『楢山節考』/現代の民話の試みとして
『楢山節考』が描いた棄老の習俗
「山へ行く」ことと楢山まいり
楢山まいりの掟と道筋
老人を祖霊に祀り上げる仕掛け
作中の秩序は現実にありえるか
異形の近代を抱いた現代の民話
姥棄て、たとえば古典の影のもとで
棄老小説の系譜
太宰治「姥捨」
堀辰雄、里見弴、井上靖
背を向けられた『楢山節考』
『蕨野行』/デンデラ野からワラビ野へ
新たな棄老小説、村田喜代子『蕨野行』
デンデラ野からワラビ野へ
食べることの極限で
人の世の果て、いまわの際の恋
棄老の物語の空間構造とシンボリズム
女たちの魂の連帯
姥棄ては都市の深みへ降りてゆく
山本昌代「デンデラ野」
小池真理子「姥捨ての街」
倉橋由美子「姥捨山異聞」
第三章 新たな隠居像を求めて
穂積陳重の『隠居論』をめぐって
法学者が隠居制を論じた大著
隠居の起源を探る
グリムが記録した隠居席、「猫の座」
家督や財産の相続と法制度
役立たずと年金受給者のあいだ
民族誌に見る棄老のトラウマ
年金による老人の役割の変容
『銀齢の果て』と『PLAN75』/集団自決は可能か
成田悠輔と上野千鶴子の対談
筒井康隆『銀齢の果て』の「老人相互処刑制度」
老人の自死制度を描いた『PLAN75』
自殺幇助が国家システムになるとき
『わたしを離さないで』/格差社会の果てに
資源化される身体
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
特権的な老人たちの独裁制が生まれる
降りるための思想が欲しい
不如意な身体を抱えたままに
みずから降りる豊かな選択肢を
「老人権は社会権なり」
「猫の座」をいかにデザインするか
若者に託すということ
ホーム
ご注文方法
カートを見る
YONDEMILLとは
お問い合わせ

関連書籍















































