新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
増補版 親鸞教学
曽我量深から安田理深へ
近代教学の大成者・曽我量深と安田理深は、なぜ唯識思想を極めたのか。
その関係性を詳しく解説した「唯識思想と浄土真宗」を増補。
「現代親鸞教学」確立の過程と意義を鮮明にする。
その関係性を詳しく解説した「唯識思想と浄土真宗」を増補。
「現代親鸞教学」確立の過程と意義を鮮明にする。
『増補版』の序
近代親鸞教学の課題
一 大谷派の近代教学の流れ
端緒を開いた清沢満之
曽我量深の精神主義への疑問
精神主義の根拠はなにか
清沢満之を一生の師とする
清沢満之に対する反逆者
清沢満之の課題を受けての一生
「我が信念の課題」
曽我量深の「日蓮論」の意義
二 近代教学の課題
曽我量深から安田理深へ
曽我量深と大谷大学
曽我教学の根本を受けつぐ
ポール・ティリッヒとの対話
普遍的人間学の追及
自己否定を根底とする思想
自己の根源を要求する願生心
近代教学の根底に流れる課題
三 信心の現代化
如来表現の範疇としての三心観
如来の三心と阿頼耶の三相
自己の虚偽を批判する真実心
欲生心の課題
回向心としての欲生心の意義
還相回向の領解
大信心は長生不死の神方
自己回復の道としての近代教学の確立
安田理深論
一 先師安田理深の求道
先師安田理深との出会い
安田理深の求道の歩み
大谷大学へ入学
雑誌『仏座』の発刊
結核に倒れて
頑固さとやさしさ
茂田井教亨との対談
ティリッヒとの対談
相応学舎での学び
教団の恩義を感じて
情熱的な求道の姿勢
無窓という名告り
モナドロギーと阿頼耶識
凡夫の自覚としての無窓
二 名義に相応する学仏道場
曽我、金子の追放事件
興法学園から相応学舎へ
相応学舎の相応とは
如実修行相応
名義と相応する
三種の不相応
名号の教えと相応する
相応学舎にかけられた願い
三 真実のサンガを求めて
雑誌『僧伽』の刊行
絶対平等の共同体
願心の共同体としての報土
一如に生きる真仏土
独立者の共同体
欲生心に立つ教団を目ざして
存在の故郷としての浄土
超越的な本能的要求
浄土を求めることの意義
四 相続し深められたものの尊さ
検証清沢満之批判
自由な批判精神
信仰における個人主義的傾向
非神話性
浄土の非神話化
表現の新しさ
感の教学
増補 唯識思想と浄土真宗
一 唯識と浄土真宗の思想的関わり
唯識と浄土真宗の思想とはどういう関わりか
唯識は意識の事実を見て実体化の間違いを批判する
唯識と真宗の思想は、人間の課題として一つである
安田先生の思想戦
人間の本来性を回復する場所を願生する
二 自覚の教学
「自覚の教学」に見る安田先生の思い
『唯識三十頌』が説く意識構造
唯識の学匠である天親菩薩がなぜ『願生偈』を書かれたのか
唯除の文を唯識から見る
『初版』のあとがき
近代親鸞教学の課題
一 大谷派の近代教学の流れ
端緒を開いた清沢満之
曽我量深の精神主義への疑問
精神主義の根拠はなにか
清沢満之を一生の師とする
清沢満之に対する反逆者
清沢満之の課題を受けての一生
「我が信念の課題」
曽我量深の「日蓮論」の意義
二 近代教学の課題
曽我量深から安田理深へ
曽我量深と大谷大学
曽我教学の根本を受けつぐ
ポール・ティリッヒとの対話
普遍的人間学の追及
自己否定を根底とする思想
自己の根源を要求する願生心
近代教学の根底に流れる課題
三 信心の現代化
如来表現の範疇としての三心観
如来の三心と阿頼耶の三相
自己の虚偽を批判する真実心
欲生心の課題
回向心としての欲生心の意義
還相回向の領解
大信心は長生不死の神方
自己回復の道としての近代教学の確立
安田理深論
一 先師安田理深の求道
先師安田理深との出会い
安田理深の求道の歩み
大谷大学へ入学
雑誌『仏座』の発刊
結核に倒れて
頑固さとやさしさ
茂田井教亨との対談
ティリッヒとの対談
相応学舎での学び
教団の恩義を感じて
情熱的な求道の姿勢
無窓という名告り
モナドロギーと阿頼耶識
凡夫の自覚としての無窓
二 名義に相応する学仏道場
曽我、金子の追放事件
興法学園から相応学舎へ
相応学舎の相応とは
如実修行相応
名義と相応する
三種の不相応
名号の教えと相応する
相応学舎にかけられた願い
三 真実のサンガを求めて
雑誌『僧伽』の刊行
絶対平等の共同体
願心の共同体としての報土
一如に生きる真仏土
独立者の共同体
欲生心に立つ教団を目ざして
存在の故郷としての浄土
超越的な本能的要求
浄土を求めることの意義
四 相続し深められたものの尊さ
検証清沢満之批判
自由な批判精神
信仰における個人主義的傾向
非神話性
浄土の非神話化
表現の新しさ
感の教学
増補 唯識思想と浄土真宗
一 唯識と浄土真宗の思想的関わり
唯識と浄土真宗の思想とはどういう関わりか
唯識は意識の事実を見て実体化の間違いを批判する
唯識と真宗の思想は、人間の課題として一つである
安田先生の思想戦
人間の本来性を回復する場所を願生する
二 自覚の教学
「自覚の教学」に見る安田先生の思い
『唯識三十頌』が説く意識構造
唯識の学匠である天親菩薩がなぜ『願生偈』を書かれたのか
唯除の文を唯識から見る
『初版』のあとがき