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慈悲が世界を変える。 【サンガジャパンvol.30】
著者 | サンガジャパン編集部 編 |
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出版社 | サンガ |
ジャンル | 仏教関係雑誌 |
シリーズ | サンガジャパン |
出版年月日 | 2018/09/01 |
ISBN | 9784865641318 |
判型・ページ数 | A5・378ページ |
定価 | 本体2,000円+税 |
在庫 | 品切れ・重版未定 |
慈悲が世界を変える。 人間の根本に欲がある限り、争いは絶えない。 人類はその処方箋を持たないのだろうか。 宗教に根ざした倫理ではなく、 宗教を超えた世俗倫理をダライ・ラマ十四 世は説く。 「誰しも他者への思いやりの心を高く評価し、 慈しみの心と憐みの心という人間の基本的価値観をおのずと志向する」と。 しかし、その一方で宗教が戦争の火種にもなる。 このアイロニカルな二律背反性こそが宗教ともいえるだろうか。 元来、布教ありきではなく自己救済が目標であった仏教は、 自らの修行を通じて得た功徳を受け取りつつ(自利)、 他者の幸福を願い、功徳を施し救済する(利他)、 他者のための教え、慈悲を根幹に据えた。 仏教で語られる慈悲は、自らが痛む側にある「悲」(カルナー)と、 施す側に力点がある「慈」(メッタ)の両輪で一つとなる、 他者への思いやりを含んだものであり、 人助けにのみ重きを置くわけでもなく、 この自利、そして利他の心が加わる包括的なものだ。 慈悲は現代社会においていかなる姿をとっているのか。 慈悲の思想とその実践、社会的な展開を今号では見ていくことにする。
特集 慈悲が世界を変える。
「慈悲のプログラムをインストールする」アルボムッレ・スマナサーラ
「止と観の統合から慈しみが生まれる」 横田南嶺×プラユキ・ナラテボー
「ネルケ流、ボーディーマインドのすすめ」 ネルケ無方
「慈悲を生きるとは?」Dr.バリー・カーズィン×田口ランディ
「ミッシングピースを探して」 アルボムッレ・スマナサーラ×想田和弘
「慈愛」 青山俊董
「「ジョアン・ハリファックス老師が伝えるコンパッションの真意と育み」ジョアン・ハリファックス
「「社会正義と視座の転換」 本田哲郎×宇都宮健児
「死と看取りの現場における「慈悲」の力」 日髙明
「「慈悲の社会化」に向けて」 大菅俊幸
「アガペーの人となるヴィパッサナ瞑想とは何か」柳田敏洋
「「慈悲」を読む」 三砂慶明
「オウム以外の人々」 佐々涼子
連載第4回「マインドフルネスを歩く」島田啓介
第5回「パーリ経典解説 連載」アルボムッレ・スマナサーラ
連載第14回「日本仏教は仏教なのか?」藤本晃
連載第1回「仏教と哲学の対話」永井均×ネルケ無方
「慈悲のプログラムをインストールする」アルボムッレ・スマナサーラ
「止と観の統合から慈しみが生まれる」 横田南嶺×プラユキ・ナラテボー
「ネルケ流、ボーディーマインドのすすめ」 ネルケ無方
「慈悲を生きるとは?」Dr.バリー・カーズィン×田口ランディ
「ミッシングピースを探して」 アルボムッレ・スマナサーラ×想田和弘
「慈愛」 青山俊董
「「ジョアン・ハリファックス老師が伝えるコンパッションの真意と育み」ジョアン・ハリファックス
「「社会正義と視座の転換」 本田哲郎×宇都宮健児
「死と看取りの現場における「慈悲」の力」 日髙明
「「慈悲の社会化」に向けて」 大菅俊幸
「アガペーの人となるヴィパッサナ瞑想とは何か」柳田敏洋
「「慈悲」を読む」 三砂慶明
「オウム以外の人々」 佐々涼子
連載第4回「マインドフルネスを歩く」島田啓介
第5回「パーリ経典解説 連載」アルボムッレ・スマナサーラ
連載第14回「日本仏教は仏教なのか?」藤本晃
連載第1回「仏教と哲学の対話」永井均×ネルケ無方