新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
親鸞はどこにいるのか
戦後七十年、改めて教団の戦争責任を追及し、「人を殺してはならない」という仏教徒の原点を厳しく問う。
異端といわれて、なお親鸞一筋の道を歩み、著者の絶筆となった書。
異端といわれて、なお親鸞一筋の道を歩み、著者の絶筆となった書。
はじめに
第一章 本願寺には親鸞はいない
一 鈴木大拙『日本的霊性』の主張
二 鈴木大拙氏とアジア・太平洋戦争
三 私の親鸞研究の原点
第二章 東西本願寺教団の戦時教学
一 近代における東西本願寺の動向
二 戦時教学の実態
1 天皇権威への拝跪
2 神道イデオロギーへの妥協
三 戦時教学の責任を問う
第三章 親鸞におけるまことの真宗教義
一 真宗教義の原点を探ねる
1 阿弥陀仏とは誰か
2 阿弥陀仏は私の心に宿っている
二 真宗行道論
1 聞名信心の道
2 三業奉行の道
三 真宗信心論
1 信心とは「めざめ体験」
2 信心とは人格主体の確立
3 伝統教学の誤謬
a 「たのむ」心としての真宗信心
b 「甘え」の心情としての真宗信心
四 真宗者の社会的実践論
あとがき
第一章 本願寺には親鸞はいない
一 鈴木大拙『日本的霊性』の主張
二 鈴木大拙氏とアジア・太平洋戦争
三 私の親鸞研究の原点
第二章 東西本願寺教団の戦時教学
一 近代における東西本願寺の動向
二 戦時教学の実態
1 天皇権威への拝跪
2 神道イデオロギーへの妥協
三 戦時教学の責任を問う
第三章 親鸞におけるまことの真宗教義
一 真宗教義の原点を探ねる
1 阿弥陀仏とは誰か
2 阿弥陀仏は私の心に宿っている
二 真宗行道論
1 聞名信心の道
2 三業奉行の道
三 真宗信心論
1 信心とは「めざめ体験」
2 信心とは人格主体の確立
3 伝統教学の誤謬
a 「たのむ」心としての真宗信心
b 「甘え」の心情としての真宗信心
四 真宗者の社会的実践論
あとがき