話題の本【書評】(2024年9月~) - 2024.10.31
ポスト・アンベードカルの民族誌
現代インドの仏教徒と不可触民解放運動
1956年10月14日、「不可触民の父」と呼ばれるB.R.アンベードカル(1891-1956)は、30万人以上の元不可触民を率い、インドのナーグプル市でヒンドゥー教から仏教へ集団改宗した。
本書は、集団改宗とアンベードカルの死去から半世紀が経過した現代インドの仏教徒たちと、不可触民の解放に取り組む反差別運動をめぐる人類学的研究である。
このポスト・アンベードカルの時代において不可触民解放運動は、進むべき明確な道を見出せないまま、もがき苦しみながら前に進み、元不可触民の人格は「怒り」や「暴力」といった言葉で表現されてきた。2000年から2016年までの間に合計2年の現地調査を実施した筆者は、同一性の政治学(アイデンティティ・ポリティクス)の特徴を持つ不可触民解放運動に加え、仏教徒たちの生活世界から立ち上がる寛容の論理に目を向ける。そこでは活動家、仏教僧、在家信者、「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」、「改宗キリスト教徒」、仏教僧佐々井秀嶺(1935-)の視点と実践がボトムアップの視点から論じられ、在家信者が活動家となる動態性や、仏教への改宗後もヒンドゥー教への信仰を捨てきれない輻輳性が明らかになる。
同一性の政治学は、元不可触民に自己尊厳を与え、数多くのアンベードカライトを産出してきた。同時に、ヒンドゥー教を「差別と迷信の宗教」、仏教を「平等と科学の宗教」と定義し、排他的な当事者性に依拠するアンベードカルの教えは、他宗教信者との間で暴力的な対立を発生させている。これに加え、活動家が「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」や「改宗キリスト教徒」の家から他宗教の神々の像を回収・焼却することで、被差別者の中の被差別者が創り出される。そこでは活動家自身もまた、「差別に抗する団結か、家族との愛情か」という二者択一のジレンマに直面している。
グローバリゼーションがもたらす流動化と不確実性の中、反差別運動の論理に反する生活世界の他者の声を聴く(聴かない)ことは、仏教徒たちの不可触民解放運動にどのような展開をもたらしているのだろうか。
本書では、複数化や動態性を特徴とする生活世界の寛容の論理が、閉鎖性や排他性にかかわる同一性の政治学の中に入り込み、それとは別の運動を生み出していることを議論する。より具体的には、「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」がブリコラージュを用い、等質性なきものが協働する連帯を創出し、佐々井が生成変化の政治学を通じて、不可触民解放運動の当事者性を拡張することを考察する。
本書は、集団改宗とアンベードカルの死去から半世紀が経過した現代インドの仏教徒たちと、不可触民の解放に取り組む反差別運動をめぐる人類学的研究である。
このポスト・アンベードカルの時代において不可触民解放運動は、進むべき明確な道を見出せないまま、もがき苦しみながら前に進み、元不可触民の人格は「怒り」や「暴力」といった言葉で表現されてきた。2000年から2016年までの間に合計2年の現地調査を実施した筆者は、同一性の政治学(アイデンティティ・ポリティクス)の特徴を持つ不可触民解放運動に加え、仏教徒たちの生活世界から立ち上がる寛容の論理に目を向ける。そこでは活動家、仏教僧、在家信者、「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」、「改宗キリスト教徒」、仏教僧佐々井秀嶺(1935-)の視点と実践がボトムアップの視点から論じられ、在家信者が活動家となる動態性や、仏教への改宗後もヒンドゥー教への信仰を捨てきれない輻輳性が明らかになる。
同一性の政治学は、元不可触民に自己尊厳を与え、数多くのアンベードカライトを産出してきた。同時に、ヒンドゥー教を「差別と迷信の宗教」、仏教を「平等と科学の宗教」と定義し、排他的な当事者性に依拠するアンベードカルの教えは、他宗教信者との間で暴力的な対立を発生させている。これに加え、活動家が「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」や「改宗キリスト教徒」の家から他宗教の神々の像を回収・焼却することで、被差別者の中の被差別者が創り出される。そこでは活動家自身もまた、「差別に抗する団結か、家族との愛情か」という二者択一のジレンマに直面している。
グローバリゼーションがもたらす流動化と不確実性の中、反差別運動の論理に反する生活世界の他者の声を聴く(聴かない)ことは、仏教徒たちの不可触民解放運動にどのような展開をもたらしているのだろうか。
本書では、複数化や動態性を特徴とする生活世界の寛容の論理が、閉鎖性や排他性にかかわる同一性の政治学の中に入り込み、それとは別の運動を生み出していることを議論する。より具体的には、「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」がブリコラージュを用い、等質性なきものが協働する連帯を創出し、佐々井が生成変化の政治学を通じて、不可触民解放運動の当事者性を拡張することを考察する。
序章 研究の視座:同一性の政治学と生活世界における寛容
第一節 排除の論理が浸透する不確実な世界
第二節 オリエンタリズム批判と同一性の政治学のジレンマ
第三節 反差別運動の当事者が持つ動態性と輻輳性
第四項 等質性なきものが共働する生活世界の寛容
第五節 本論の目的と構成
第一章 フィールドワークについて
第一節 調査地と 研究対象:ナーグプル市で暮らす仏教徒(元不可触民)
第二節 三カ所を 巡る調査手法:仏教徒組織・仏教寺院・仏教徒居住区
第三節 名付けと名乗り:「新仏教徒」か、「仏教徒」か
第二章 歴史的背景:一九五六年以前と一九五七年以降
第一節 一九一三 ―一九三五年:アンベードカルのヒンドゥー社会改革と棄教宣言
第二節 一九三六 ―一九五六年:仏教への集団改宗とアンベードカルの死去
第三節 一九五七 ―一九六六年:仏教徒政治家の失敗と仏教復興の停滞
第四節 一九六七 ―一九九一年:仏教文化の復興と佐々井によるインド国籍の取得
第五節 一九九二年―:佐々井による大菩提寺奪還運動の開始以降
第三章 反差別の取り組みと自己尊厳の獲得
第一節 アンベードカルの教えを通じて想像される共同体
第二節 仏教文化の創出と宗教対立の発生
第三節 「アンベードカライト」が誕生するプロセス
第四章 仏教儀礼とカテゴリー化を逃れる意味の創出
第一節 祝福の論理による仏教儀礼の読み換え
第二節 既存の論理とアンベードカルの教えの競合
第三節 改宗における三つの意味付け
第五章 超自然的な力と対面関係の網の目の構築
第一節 家族の?がりとラクシャー・バンダンの儀礼
第二節 地域の?がりとマールバト供犠
第三節 困難な環境に存在する二つの対面関係の網の目
第六章 「団結か、愛情か」という二者択一の問い
第一節 他宗教の神の焼却と再改宗の取り組み
第二節 改宗記念祭における紐切りの活動と「?つき行者」の葬式
第三節 被差別者による反差別運動が生み出す差別
第七章 「過激派」のアイデンティティ・クライシス
第一節 アンベードカルを信じる理由
第二節 愛情を選ぶ活動家、団結を選ぶ活動家
第三節 排他的な当事者性に依拠する「過激派」の限界
第八章 「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」の戦術的な試み
第一節 どの宗教に属するものか不確かな儀礼
第二節 「アンベードカライト」と「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」の曖昧な境界線
第三節 排他的な仏教徒共同体と「開かれた親族」の接続
第九章 佐々井秀嶺による矛盾する実践
第一節 直喩の論理から隠喩の論理への展開
第二節 反差別運動を率いる、祝福を与える
第三節 「不可触民の指導者/聖者」として
終章 隠蔽される声、等質性なき連帯、生成変化の政治学
第一節 同一性の政治学における他者の声の隠蔽
第二節 ブリコラージュを用いた等質性なきものの接続
第三節 生成変化の政治学による当事者性の拡張
参考文献、あとがき、索引
第一節 排除の論理が浸透する不確実な世界
第二節 オリエンタリズム批判と同一性の政治学のジレンマ
第三節 反差別運動の当事者が持つ動態性と輻輳性
第四項 等質性なきものが共働する生活世界の寛容
第五節 本論の目的と構成
第一章 フィールドワークについて
第一節 調査地と 研究対象:ナーグプル市で暮らす仏教徒(元不可触民)
第二節 三カ所を 巡る調査手法:仏教徒組織・仏教寺院・仏教徒居住区
第三節 名付けと名乗り:「新仏教徒」か、「仏教徒」か
第二章 歴史的背景:一九五六年以前と一九五七年以降
第一節 一九一三 ―一九三五年:アンベードカルのヒンドゥー社会改革と棄教宣言
第二節 一九三六 ―一九五六年:仏教への集団改宗とアンベードカルの死去
第三節 一九五七 ―一九六六年:仏教徒政治家の失敗と仏教復興の停滞
第四節 一九六七 ―一九九一年:仏教文化の復興と佐々井によるインド国籍の取得
第五節 一九九二年―:佐々井による大菩提寺奪還運動の開始以降
第三章 反差別の取り組みと自己尊厳の獲得
第一節 アンベードカルの教えを通じて想像される共同体
第二節 仏教文化の創出と宗教対立の発生
第三節 「アンベードカライト」が誕生するプロセス
第四章 仏教儀礼とカテゴリー化を逃れる意味の創出
第一節 祝福の論理による仏教儀礼の読み換え
第二節 既存の論理とアンベードカルの教えの競合
第三節 改宗における三つの意味付け
第五章 超自然的な力と対面関係の網の目の構築
第一節 家族の?がりとラクシャー・バンダンの儀礼
第二節 地域の?がりとマールバト供犠
第三節 困難な環境に存在する二つの対面関係の網の目
第六章 「団結か、愛情か」という二者択一の問い
第一節 他宗教の神の焼却と再改宗の取り組み
第二節 改宗記念祭における紐切りの活動と「?つき行者」の葬式
第三節 被差別者による反差別運動が生み出す差別
第七章 「過激派」のアイデンティティ・クライシス
第一節 アンベードカルを信じる理由
第二節 愛情を選ぶ活動家、団結を選ぶ活動家
第三節 排他的な当事者性に依拠する「過激派」の限界
第八章 「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」の戦術的な試み
第一節 どの宗教に属するものか不確かな儀礼
第二節 「アンベードカライト」と「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」の曖昧な境界線
第三節 排他的な仏教徒共同体と「開かれた親族」の接続
第九章 佐々井秀嶺による矛盾する実践
第一節 直喩の論理から隠喩の論理への展開
第二節 反差別運動を率いる、祝福を与える
第三節 「不可触民の指導者/聖者」として
終章 隠蔽される声、等質性なき連帯、生成変化の政治学
第一節 同一性の政治学における他者の声の隠蔽
第二節 ブリコラージュを用いた等質性なきものの接続
第三節 生成変化の政治学による当事者性の拡張
参考文献、あとがき、索引