重版情報(2020年4月~) - 2024.11.25
歎異抄の真実
曽我量深に聴く親鸞の教え
『歎異抄』をある視点から読み解くと、親鸞が深い信心を獲得していったことがよく見えてくる。その視点を提示し、親鸞の信心の深みを明らかにする。
『歎異抄』を読むにあたって
前序
一、ほぼ古今を堪うる
二、口伝
三、「自見の覚悟」と「他力の宗旨」
四、二種深信
第一章
一、はじめに
二、第一段
三、第二段
四、第三段
五、第四段
第二章
一、第二章の背景
二、浄瑠璃鏡前の親鸞聖人
三、親鸞におきては
四、『観経』「下下品」の釈尊と「地獄一定」の親鸞聖人
五、「ただ信ずる」
六、地獄は一定すみかぞかし
七、「弥陀の本願」の歴史観
八、信仰の異なるをかなしみたもう也
第三章
一、いわんや悪人をや
二、「世のひとつねにいわく」―外道のすがた 三、「善人の往生」―親鸞聖人のご己証
四、「悪人成仏」―親鸞聖人のご己証
五、結び
第四章
一、大慈悲心(同体の大悲)
二、聖道の慈悲
三、聖道の慈悲から浄土の慈悲へ
第五章
一、浄土のさとり(還相回向)
二、父母の孝養のため念仏もうたることいまだそうらわず
三、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり
四、順次生に仏になりてたうけそうろうべきなり
五、念仏のはたらき
第六章
一、親鸞は弟子一人ももたず
二、弥陀の御もよおしにあずかって念仏もうしそうろう
三、如来よりたまわりたる信心
四、他力自然のことわりにかなう
五、蓮如上人の『御文』
第七章
一、「真の主体」の発見―『二河喩』と『歎異抄』第七章―
二、念仏は無碍の一道なり
三、念仏三昧は三昧中の王三昧である
四、阿耨多羅三藐三菩提
五、信心の行者
六、群賊悪獣が転じて諸仏となる
七、煩悩が転じて招喚の声となる
第八章
一、念仏は行者のために、非行・非善なり
二、ま(真)はさてあらん
第九章
一、第九章の大綱―仏煩悩の発見―
二、第一段
三、第二段
四、第三段
五、第四段
第十章
一、念仏には
二、無義をもって義となす
三、不可称・不可説・不可思議
四、「如来の御はからい」の実践
五、親鸞聖人が信仰された仏さま
六、『歎異抄』全体からみた
第十章
七、「中序」
あとがき
前序
一、ほぼ古今を堪うる
二、口伝
三、「自見の覚悟」と「他力の宗旨」
四、二種深信
第一章
一、はじめに
二、第一段
三、第二段
四、第三段
五、第四段
第二章
一、第二章の背景
二、浄瑠璃鏡前の親鸞聖人
三、親鸞におきては
四、『観経』「下下品」の釈尊と「地獄一定」の親鸞聖人
五、「ただ信ずる」
六、地獄は一定すみかぞかし
七、「弥陀の本願」の歴史観
八、信仰の異なるをかなしみたもう也
第三章
一、いわんや悪人をや
二、「世のひとつねにいわく」―外道のすがた 三、「善人の往生」―親鸞聖人のご己証
四、「悪人成仏」―親鸞聖人のご己証
五、結び
第四章
一、大慈悲心(同体の大悲)
二、聖道の慈悲
三、聖道の慈悲から浄土の慈悲へ
第五章
一、浄土のさとり(還相回向)
二、父母の孝養のため念仏もうたることいまだそうらわず
三、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり
四、順次生に仏になりてたうけそうろうべきなり
五、念仏のはたらき
第六章
一、親鸞は弟子一人ももたず
二、弥陀の御もよおしにあずかって念仏もうしそうろう
三、如来よりたまわりたる信心
四、他力自然のことわりにかなう
五、蓮如上人の『御文』
第七章
一、「真の主体」の発見―『二河喩』と『歎異抄』第七章―
二、念仏は無碍の一道なり
三、念仏三昧は三昧中の王三昧である
四、阿耨多羅三藐三菩提
五、信心の行者
六、群賊悪獣が転じて諸仏となる
七、煩悩が転じて招喚の声となる
第八章
一、念仏は行者のために、非行・非善なり
二、ま(真)はさてあらん
第九章
一、第九章の大綱―仏煩悩の発見―
二、第一段
三、第二段
四、第三段
五、第四段
第十章
一、念仏には
二、無義をもって義となす
三、不可称・不可説・不可思議
四、「如来の御はからい」の実践
五、親鸞聖人が信仰された仏さま
六、『歎異抄』全体からみた
第十章
七、「中序」
あとがき