悟らなくたって、いいじゃないか 【幻冬舎新書435】

普通の人のための仏教・瞑想入門

著者 プラユキ・ナラテボー
魚川 祐司
出版社 幻冬舎
ジャンル 入門・お経・実用 > 仏教入門、教養、法話
出版年月日 2016/10/30
ISBN 9784344984363
判型・ページ数 新書・254ページ
定価 本体800円+税
在庫 お取り寄せ
信仰ではなく、 〈人生の糧〉としての仏教活用法! ブッダは、人生の「苦」から抜け出すには、 出家して修行、すなわち瞑想を実践することで、 煩悩を解脱した「悟り」に至らなくてはならないと説いた。 では出家したくないのはもちろん、欲望を捨てたくない、 悟りも目指したくない「普通の人」は、 「苦」から逃れられないのか? 「普通の人」の生活に、ブッダの教えはどう役立つのか? 瞑想をすると何が変わるのか? タイで30年近く出家生活を送る日本人僧侶と気鋭の仏教研究者が、 スリリングな対話を通して「実践する仏教」の本質に迫る。
はじめに

序章 「実践する仏教」のパースペクティブ
 「ナラテボー」は「エンジェル・マン」
 智慧と慈悲のプラクティカルな総合
 仏教を捉えるパースペクティブの混乱
 「正しい/本当の仏教」にこだわるのは不毛
 food for life(人生の糧)としての仏教
  ほか
第一章 智慧の章
 「実相」の智慧と「実践」の慈悲
 コーンフィールド氏のタイ・ミャンマー修行体験
 タム・チット(心的実践)とタム・キット(作業的実践)
 大量の蚊に刺されても動じない、ハードコアな瞑想の価値
 複数の「悟り」が並立する現実
  ほか
第二章 慈悲の章
 説き尽くされた「智慧」、いまだ完結していない「慈悲」
 テーラワーダは「人生否定、来世志向および二元論的」?
 「ネタ」でも「物語」でもない、「事実」としての輪廻転生
 渇愛は滅尽させるべきものか、させなくていいのか
 文化圏が異なれば、「何が慈悲か」も変わってくる
  ほか
第三章 自由の章
 世間的な意味での「自由」とは? 
 仏教的な「自由」は世間的な「自由」とどう違うのか
 「思いどおりに振る舞うこと」が自由ではない
 「空気を読むこと」が無我ではない
 「瞑想すると上手くいく」のではない
  ほか

あとがき

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