2024年10月書店売上 - 2024.11.01
悟らなくたって、いいじゃないか 【幻冬舎新書435】
普通の人のための仏教・瞑想入門
著者 | プラユキ・ナラテボー 著 魚川 祐司 著 |
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出版社 | 幻冬舎 |
ジャンル | 入門・お経・実用 > 仏教入門、教養、法話 |
出版年月日 | 2016/10/30 |
ISBN | 9784344984363 |
判型・ページ数 | 新書・254ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | お取り寄せ |
信仰ではなく、 〈人生の糧〉としての仏教活用法! ブッダは、人生の「苦」から抜け出すには、 出家して修行、すなわち瞑想を実践することで、 煩悩を解脱した「悟り」に至らなくてはならないと説いた。 では出家したくないのはもちろん、欲望を捨てたくない、 悟りも目指したくない「普通の人」は、 「苦」から逃れられないのか? 「普通の人」の生活に、ブッダの教えはどう役立つのか? 瞑想をすると何が変わるのか? タイで30年近く出家生活を送る日本人僧侶と気鋭の仏教研究者が、 スリリングな対話を通して「実践する仏教」の本質に迫る。
はじめに
序章 「実践する仏教」のパースペクティブ
「ナラテボー」は「エンジェル・マン」
智慧と慈悲のプラクティカルな総合
仏教を捉えるパースペクティブの混乱
「正しい/本当の仏教」にこだわるのは不毛
food for life(人生の糧)としての仏教
ほか
第一章 智慧の章
「実相」の智慧と「実践」の慈悲
コーンフィールド氏のタイ・ミャンマー修行体験
タム・チット(心的実践)とタム・キット(作業的実践)
大量の蚊に刺されても動じない、ハードコアな瞑想の価値
複数の「悟り」が並立する現実
ほか
第二章 慈悲の章
説き尽くされた「智慧」、いまだ完結していない「慈悲」
テーラワーダは「人生否定、来世志向および二元論的」?
「ネタ」でも「物語」でもない、「事実」としての輪廻転生
渇愛は滅尽させるべきものか、させなくていいのか
文化圏が異なれば、「何が慈悲か」も変わってくる
ほか
第三章 自由の章
世間的な意味での「自由」とは?
仏教的な「自由」は世間的な「自由」とどう違うのか
「思いどおりに振る舞うこと」が自由ではない
「空気を読むこと」が無我ではない
「瞑想すると上手くいく」のではない
ほか
あとがき
序章 「実践する仏教」のパースペクティブ
「ナラテボー」は「エンジェル・マン」
智慧と慈悲のプラクティカルな総合
仏教を捉えるパースペクティブの混乱
「正しい/本当の仏教」にこだわるのは不毛
food for life(人生の糧)としての仏教
ほか
第一章 智慧の章
「実相」の智慧と「実践」の慈悲
コーンフィールド氏のタイ・ミャンマー修行体験
タム・チット(心的実践)とタム・キット(作業的実践)
大量の蚊に刺されても動じない、ハードコアな瞑想の価値
複数の「悟り」が並立する現実
ほか
第二章 慈悲の章
説き尽くされた「智慧」、いまだ完結していない「慈悲」
テーラワーダは「人生否定、来世志向および二元論的」?
「ネタ」でも「物語」でもない、「事実」としての輪廻転生
渇愛は滅尽させるべきものか、させなくていいのか
文化圏が異なれば、「何が慈悲か」も変わってくる
ほか
第三章 自由の章
世間的な意味での「自由」とは?
仏教的な「自由」は世間的な「自由」とどう違うのか
「思いどおりに振る舞うこと」が自由ではない
「空気を読むこと」が無我ではない
「瞑想すると上手くいく」のではない
ほか
あとがき