2024年10月書店売上 - 2024.11.01
スマナサーラ長老の仏教塾
著者 | アルボムッレ・スマナサーラ 著 |
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出版社 | サンガ |
ジャンル | 入門・お経・実用 > 仏教入門、教養、法話 |
出版年月日 | 2016/06/01 |
ISBN | 9784865640441 |
判型・ページ数 | 4-6・224ページ |
定価 | 本体1,500円+税 |
在庫 | 品切れ・重版未定 |
仏教は難しくてわからない。葬式をしたり祈祷をたり、それが仏教なんだろうか―。 本書では、誰もが抱く様々な問題や疑問に対するブッダの答えを紹介します。いまここを楽しんで生きるために役に立つブッダの教えが満載の仏教入門書。
まえがき
第一章 生きることを学ぶ、それが仏教
「やること」がない」いう暮らしは、とても危険
やることをおもしろくすればいい
身近なひとが先生です
子どもの心で、これおもしろい、あれおもしろいと、学びまくってしまう
学ぶことの落とし穴―脳がロックされてしまう
わたしたちは、いわば「ロボット教育」を受けてきた
脳にロックをかけない唯一の方法は、生きることを学ぶこと
ブッダは生きることを伝えた
自分の〈からだ〉をとおして「生きる」ということを学ぶ
一体になる 全身であたってみる
はやくやろうとすると手を抜いてしまう
気楽で楽しくワクワクと しかし相手に圧迫感を与えない
ありのままの自分で勝負しなくちゃいけない
時空が変わったとたん、もう別の人格
第二章 目標が存在しない生き方
ものの立場にたつとうまく整頓できる
料理にも自分の〈からだ〉の動きにも応用が効く
目的は存在しない、という生き方をする
目的ゼロのことをやってみる
ひとコマひとコマの動きで実況中継する
行為だけあって「わたし」がいない
一つひとつで完了する
「完璧にいっている」と、脳にフィードバックしていく
目的など、自我という小さいスケールの世界のこと
「人格向上」という目的
欲にかられた願いや、怒りの心による願いは苦しみになる
その都度、その都度、自分という人格を磨く
楽々とたんたんと、川が流れるような生き方がある
不完全ということは、進歩していくことができるということ
第三章 いまをシンプルに生きるだけ
「得よう」と思ってがんばるほど、うまくいかない
妄想概念をいくらためこんで瞑想しても、うまくいかない
〈からだ〉の感覚を観察すること
「いま」を完璧に生きる
「いま」を生きるためのワザ
「いま」という瞬間と出会う
「いま」ここの自分の足元を見る
捨てて、捨てていく道
あゆむ道自体が楽しい道となる
第四章 慈悲の念をたたえて生きる
自分が苦しんでいるのであって、相手が苦しんでいるわけじゃない
「イヤなひと、自分をイヤだと思っているひとも幸せでありますように」と
一人ひとりが、自分の短所を改良していけば、あらゆる問題は解消される
自分の弱点を一つひとつなくしていけばいい
慈悲の瞑想は、自己改革のため
慈しみの心で育てていけば、すべての問題は解決する
慈しみに心を入れ替えると、ちゃんと自分の人生が生かされる
「それぞれが幸せでありますように」という気持ちで生きてみる
無視するのではなくて、心が波立たないこと
あり得ないことは起きない
四つの心を広げれば広げるほど、幸福を実感して生きていける
「どんなものにも波立たない心」と「つらいことに対する忍耐の心」
第五章 備えなければ憂いなし
「いま」を生きるということを、さっさとはじめたほうがいい
「いま」をしっかりと生きる、「いま」をフルに生きる
日々、楽しく生活することは仏教的な生き方
その都度、その都度、そこに「宿題」がある
仕事は現場で、「いま」やるもの
いつでも、「いま」の仕事、「いま」の仕事
「いま」の一秒を見てなにか心配ごとがありますか?
雨が降ったら、どうぞ勝手に降ればよい
第六章 仏道とはトレーニング
戒定慧の三学が仏道の基本
学ぶとは、繰り返し鍛錬して「身につける」こと
戒律のほんらいの意義はトレーニング
ひとつトレーニングすると、他のものも自動的にトレーニングできる
トレーニングして脳のプログラムを破る
ありのままの世界をみるためのトレーニング
仏教は、スタートからゴールまでトレーニング一色
戒律とは生き方であり、そこに抜け道はない
戒律を守るトレーニングで人格が変容する
「おもしろい」ということをトレーニングする
なんでもいい、ひとつのことに集中する
智慧もトレーニング
完成した智慧は誰ももっていくことはできない
第七章 老いと介護と死と供養
はじめからパッケージされていること
家族の行事がひとつできただけと思う
それは自分の「宿題」だと思うこと
工夫して息抜きを
認知症の親の介護
歴史のある自分(バイオグラフィカル・セルフ)が崩壊する
認知症にならないらめには、脳をよく働かせて、配線をつくっておく
延命治療について、もう食を受けつけない人に対して
〈いのち〉について
臓器移植について
ひとが死ぬというのは自然で当たり前のこと
わたしたち自身が、死の準備をしなくちゃいけない
「どうぞもっていってください」という一言
亡くなったひとのおくり方
先祖供養について
第一章 生きることを学ぶ、それが仏教
「やること」がない」いう暮らしは、とても危険
やることをおもしろくすればいい
身近なひとが先生です
子どもの心で、これおもしろい、あれおもしろいと、学びまくってしまう
学ぶことの落とし穴―脳がロックされてしまう
わたしたちは、いわば「ロボット教育」を受けてきた
脳にロックをかけない唯一の方法は、生きることを学ぶこと
ブッダは生きることを伝えた
自分の〈からだ〉をとおして「生きる」ということを学ぶ
一体になる 全身であたってみる
はやくやろうとすると手を抜いてしまう
気楽で楽しくワクワクと しかし相手に圧迫感を与えない
ありのままの自分で勝負しなくちゃいけない
時空が変わったとたん、もう別の人格
第二章 目標が存在しない生き方
ものの立場にたつとうまく整頓できる
料理にも自分の〈からだ〉の動きにも応用が効く
目的は存在しない、という生き方をする
目的ゼロのことをやってみる
ひとコマひとコマの動きで実況中継する
行為だけあって「わたし」がいない
一つひとつで完了する
「完璧にいっている」と、脳にフィードバックしていく
目的など、自我という小さいスケールの世界のこと
「人格向上」という目的
欲にかられた願いや、怒りの心による願いは苦しみになる
その都度、その都度、自分という人格を磨く
楽々とたんたんと、川が流れるような生き方がある
不完全ということは、進歩していくことができるということ
第三章 いまをシンプルに生きるだけ
「得よう」と思ってがんばるほど、うまくいかない
妄想概念をいくらためこんで瞑想しても、うまくいかない
〈からだ〉の感覚を観察すること
「いま」を完璧に生きる
「いま」を生きるためのワザ
「いま」という瞬間と出会う
「いま」ここの自分の足元を見る
捨てて、捨てていく道
あゆむ道自体が楽しい道となる
第四章 慈悲の念をたたえて生きる
自分が苦しんでいるのであって、相手が苦しんでいるわけじゃない
「イヤなひと、自分をイヤだと思っているひとも幸せでありますように」と
一人ひとりが、自分の短所を改良していけば、あらゆる問題は解消される
自分の弱点を一つひとつなくしていけばいい
慈悲の瞑想は、自己改革のため
慈しみの心で育てていけば、すべての問題は解決する
慈しみに心を入れ替えると、ちゃんと自分の人生が生かされる
「それぞれが幸せでありますように」という気持ちで生きてみる
無視するのではなくて、心が波立たないこと
あり得ないことは起きない
四つの心を広げれば広げるほど、幸福を実感して生きていける
「どんなものにも波立たない心」と「つらいことに対する忍耐の心」
第五章 備えなければ憂いなし
「いま」を生きるということを、さっさとはじめたほうがいい
「いま」をしっかりと生きる、「いま」をフルに生きる
日々、楽しく生活することは仏教的な生き方
その都度、その都度、そこに「宿題」がある
仕事は現場で、「いま」やるもの
いつでも、「いま」の仕事、「いま」の仕事
「いま」の一秒を見てなにか心配ごとがありますか?
雨が降ったら、どうぞ勝手に降ればよい
第六章 仏道とはトレーニング
戒定慧の三学が仏道の基本
学ぶとは、繰り返し鍛錬して「身につける」こと
戒律のほんらいの意義はトレーニング
ひとつトレーニングすると、他のものも自動的にトレーニングできる
トレーニングして脳のプログラムを破る
ありのままの世界をみるためのトレーニング
仏教は、スタートからゴールまでトレーニング一色
戒律とは生き方であり、そこに抜け道はない
戒律を守るトレーニングで人格が変容する
「おもしろい」ということをトレーニングする
なんでもいい、ひとつのことに集中する
智慧もトレーニング
完成した智慧は誰ももっていくことはできない
第七章 老いと介護と死と供養
はじめからパッケージされていること
家族の行事がひとつできただけと思う
それは自分の「宿題」だと思うこと
工夫して息抜きを
認知症の親の介護
歴史のある自分(バイオグラフィカル・セルフ)が崩壊する
認知症にならないらめには、脳をよく働かせて、配線をつくっておく
延命治療について、もう食を受けつけない人に対して
〈いのち〉について
臓器移植について
ひとが死ぬというのは自然で当たり前のこと
わたしたち自身が、死の準備をしなくちゃいけない
「どうぞもっていってください」という一言
亡くなったひとのおくり方
先祖供養について