重版情報(2020年4月~) - 2024.11.25
如来のまなざしの中を
沖縄の小児科が、少年の頃より思い抱いてきた、
死への不安と生への空しさから脱却し、
師に出遇い、本願念仏に生かされた、
生死を超えていく道を語りつくす。
コラム『落ち穂』
「十歳の原体験」
「釈尊・親鸞の課題」
「宗教に出る」
「振り帰れば」
「温かいまなざし」
「素粒子研究と挫折」
「『歎異抄』との出会い」
「沖縄に帰って」
「あふれる涙の中で」
「生死を超える視点」
「インドを旅して」
「謝花勝一さん」
「道は開ける」
マルティン・ブーバーの衝撃の語録
『我と汝』を読む
はじめに
翻訳者:植田重雄先生
二つの常識への挑戦
「穢土と浄土」への視点
根源語の二重性
人間の二つの<われ>
キーワード:『根源語とは、対応語である。』
唯識の三性説
「依他性」への二つの視点
対応語が<われ>を成立さす
「関係性」の世界と「もの」の世界
根源語<われ-なんじ>と根源語<われ-その>の決定的違い
如来は対応語<われ-なんじ>としてあらわれる
自力の念仏と他力の念仏
永遠の<なんじ>の名のり<南無阿弥陀仏>
他動詞の世界と自動詞の世界
「経験」と「出遇い」
関係の世界の三つの領域
精神的存在と交わる生活
「まなざし」巻頭言集
不思議
いのちの根源へ南無
謝花勝一さん
ゴーギャンの問い
本来のありようへ帰れ
念仏ひとつ
如来の命の叫び
ハユちゃんとの会話
「ものが在る」ということの不可思議
真実も正義も仏さんにかえせ
死をおり込みずみの生を生きる
わが思いに汚されない仏まします
徳田幸子さん
釈尊よ あなたを思うと胸があつくなる
「まなざし聞法道場」と「サンガ」
わかるまで聞きぬいてくれ
本願念仏は如来の自己表現
何という世界を賜ったのだろう
如来の眼に
人間の狂気を超える道
『卑下』と『懺悔』
内なる殺生
念仏のはたらき
人間の怨みを破る願力の白道
天使に安んじて 人事を尽くす
阿弥陀を根拠に生きる
ただ 念仏
≪なんじ≫と呼びつづける声
如来の御いのち
我愛
衆生の迷妄を破りつづけることば
どこまでもつづく「わが」
法蔵菩薩の篤い思い
世尊よ あなたは
自燈明 法燈明
仏教とは何か
生死をこえる道としてのビハーラ活動
ビハーラ医療団への参加
あなた自身が問題ではないのですか?
生死を超える道としてのビハーラ活動
たもつところの他力の仏法なくは、なにをもてか生死を出離せん
沖縄に帰っての模索
関真和先生と細川巌先生の往復書簡
「まなざし仏教塾」とホームページを開設
青年ゴータマ・シッダルタの苦悩
親鸞聖人の求道の原点と「生死出ずべきみち」
「生」と「活」:人生には二つの課題がある
生死を「越える道」と生死を「超える道」
「生死をつらぬく永遠のいのち(阿弥陀仏)」への目覚め
あとがき
「十歳の原体験」
「釈尊・親鸞の課題」
「宗教に出る」
「振り帰れば」
「温かいまなざし」
「素粒子研究と挫折」
「『歎異抄』との出会い」
「沖縄に帰って」
「あふれる涙の中で」
「生死を超える視点」
「インドを旅して」
「謝花勝一さん」
「道は開ける」
マルティン・ブーバーの衝撃の語録
『我と汝』を読む
はじめに
翻訳者:植田重雄先生
二つの常識への挑戦
「穢土と浄土」への視点
根源語の二重性
人間の二つの<われ>
キーワード:『根源語とは、対応語である。』
唯識の三性説
「依他性」への二つの視点
対応語が<われ>を成立さす
「関係性」の世界と「もの」の世界
根源語<われ-なんじ>と根源語<われ-その>の決定的違い
如来は対応語<われ-なんじ>としてあらわれる
自力の念仏と他力の念仏
永遠の<なんじ>の名のり<南無阿弥陀仏>
他動詞の世界と自動詞の世界
「経験」と「出遇い」
関係の世界の三つの領域
精神的存在と交わる生活
「まなざし」巻頭言集
不思議
いのちの根源へ南無
謝花勝一さん
ゴーギャンの問い
本来のありようへ帰れ
念仏ひとつ
如来の命の叫び
ハユちゃんとの会話
「ものが在る」ということの不可思議
真実も正義も仏さんにかえせ
死をおり込みずみの生を生きる
わが思いに汚されない仏まします
徳田幸子さん
釈尊よ あなたを思うと胸があつくなる
「まなざし聞法道場」と「サンガ」
わかるまで聞きぬいてくれ
本願念仏は如来の自己表現
何という世界を賜ったのだろう
如来の眼に
人間の狂気を超える道
『卑下』と『懺悔』
内なる殺生
念仏のはたらき
人間の怨みを破る願力の白道
天使に安んじて 人事を尽くす
阿弥陀を根拠に生きる
ただ 念仏
≪なんじ≫と呼びつづける声
如来の御いのち
我愛
衆生の迷妄を破りつづけることば
どこまでもつづく「わが」
法蔵菩薩の篤い思い
世尊よ あなたは
自燈明 法燈明
仏教とは何か
生死をこえる道としてのビハーラ活動
ビハーラ医療団への参加
あなた自身が問題ではないのですか?
生死を超える道としてのビハーラ活動
たもつところの他力の仏法なくは、なにをもてか生死を出離せん
沖縄に帰っての模索
関真和先生と細川巌先生の往復書簡
「まなざし仏教塾」とホームページを開設
青年ゴータマ・シッダルタの苦悩
親鸞聖人の求道の原点と「生死出ずべきみち」
「生」と「活」:人生には二つの課題がある
生死を「越える道」と生死を「超える道」
「生死をつらぬく永遠のいのち(阿弥陀仏)」への目覚め
あとがき