新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
DVD 中村久子さんの世界
中村久子女史の生涯を通して、つくづく知らされる一点がある。 それは「通ずる世界」と「通じない世界」との考え方の違いである。 女史の短歌に次の一首がある。 過ぎし世に いかなる罪を犯せしや 拝む手のなき 我は悲しき 拝む両手を持ちながら、よう拝むことができないでいる世界と、拝む両手が失われているのに、全身で拝む世界を発見した人。 天地の差を感ずる。 日常でどんな事にも通ずる身を持ちながら、心一つで通じなくさせている「不通の世界」と、不自由な身で“あまねく通ずる"「普通の世界」との大きな違いを痛感する。 日頃、我々は「普通の世界」に不満をいだく。 何か別におもしろい事はないかと思うその心根が、ことごとく「不通の世界」にしてしまっていることに気づくべきだ。 両手両足を具足している者が「不通の関係」で悩み、無手足の女史が「普通の関係」を生きているこの落差は、我々に大切な一点を問うのである。 それは、日頃のものの見方に対する、傲慢さを指摘している。 女史生誕から百年を数えることができるその根底にある世界は「普通…あまねく通じている」からこそ、数えられるのだ。普通だったら百年目はない。 【中村久子女史顕彰会のホームページより抜粋】144分。