新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
〈仏教3.0〉を哲学する バージョンⅡ
自己は仏というスローガンばかりが先行し、メソッドのはっきりしない従来の日本の仏教「仏教1.0」、メソッドははっきりしているがテクニックとスキルに走るテーラワーダ仏教「仏教2.0」、これらを超えた〈仏教3.0〉を目指す二人の仏教僧と、一人の哲学者の鼎談集。大きな反響のあった『〈仏教3.0〉を哲学する』のコンセプトを引き継いで、今回は仏教の実践における他者と慈悲の問題を、瞑想実践での体験や哲学の理論を通して論じる。
第1章 瞑想と慈悲と他者をめぐって
テーラワーダと“仏教2.0”
瞑想体験の意味するもの
「形相と質料」から「本質と実存」へ―“私”と第五図によせて
他者性と“私”という矛盾
他者へ向かう―梵天歓請・発願利生・慈悲
第2章 「坐禅は自己の正体である」
「坐禅は自己の正体である」
第五図の坐禅の人―マインドフルネスと禅
二種類の今と私
他者という謎
超越的か超越論的か―プラトン的・アリストテレス的・カント的
生きる方向性―「私」から“私”へ・“私”から「私」へ
第3章 慈悲と“仏教3.0”
世界の超越論的構成と「自己曼画」
カテゴリーは離脱可能か―解説と覚りと慈悲
純粋悪と自由と慈悲の問題
慈悲のありか
本来性と現実性のダイナミズム―慈悲の瞑想をめぐって
テーラワーダと“仏教2.0”
瞑想体験の意味するもの
「形相と質料」から「本質と実存」へ―“私”と第五図によせて
他者性と“私”という矛盾
他者へ向かう―梵天歓請・発願利生・慈悲
第2章 「坐禅は自己の正体である」
「坐禅は自己の正体である」
第五図の坐禅の人―マインドフルネスと禅
二種類の今と私
他者という謎
超越的か超越論的か―プラトン的・アリストテレス的・カント的
生きる方向性―「私」から“私”へ・“私”から「私」へ
第3章 慈悲と“仏教3.0”
世界の超越論的構成と「自己曼画」
カテゴリーは離脱可能か―解説と覚りと慈悲
純粋悪と自由と慈悲の問題
慈悲のありか
本来性と現実性のダイナミズム―慈悲の瞑想をめぐって