新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
超越と実存
「無常」をめぐる仏教史
「諸行無常(=すべての“実存”は無常である)」。そうブッダが説き始まった仏教は、インドから中国、そして日本へと伝わる過程で、「仏性」「唯識」「浄土」などの「超越的理念」と結びつき、大きく変化していった。「恐山の禅僧」が、ブッダから道元までの思想的変遷を「超越と実存の関係」から読み解く、かつてない仏教史の哲学。
プロローグ――私の問題
序章 問いの在りか
死と自己/「無常」という実存/超越、または根拠への欲望/ブッダの思想はいかに変化したのか/最大の問題は「言語」である/実存の無常と超越への希求/「現代」への問い
第一部 インド――無常の実存、超越の浸透
第一章 ゴータマ・ブッダ
決定的わからなさ/青年シッダッタの問題意識/二つの禅定の否定/苦行の否定/「無常」と「無我」の教え/「無明」の発見/「無明」の解毒としての「無記」/ブッダの「悟り」/実践の意味
第二章 アビダルマ、般若経典、華厳経典の思想
要素分割主義のはじまり/アビダルマの思想/般若経典の「空」/妄想からの離脱と実践、「空」の「実体」化/大乗仏典のブッダ/全体論的世界観へ/唯心の思想
第三章 法華経、浄土経典、密教経典の思想
「絶対」の主張/「普遍性」の保証としての「授記」/「永遠性」と見せかけの「死」/「法師」と「常不軽菩薩」/救済思想の導入/救済を可能にする「誓願(本願)」/「救済」の普遍性と念仏/超越の実存化、あるいは超越としての実存/「一致」の実践と言語
第四章 竜樹と無着・世親の思想
無記と空の論理/言語と形而上学の解体/言語という無明と実存の構造/認識の形而上学/核心としての言語/言語としてのアーラヤ識/言語と意識の解体
第ニ部 中国――超越論思想としての中国仏教
第五章 中国仏教、智顗と法蔵の思想
「天」の形而上学/「道」の形而上学/「格義」の仏教――初期の中国的受容/天台智顗の思想/「実体」の論理とその前提/「円融」の存在論/唯識思想の導入による「空」理解/「法界縁起」の理論化
第六章 中国浄土教と禅の思想
救済思想の構築/「濁世」と「衆生」/実体化への躊躇/「絶対」の救済/中国禅における断絶/中国禅の「心」主義と「見性」/「不立文字 教外別伝 直指人心見性成弘」/「清規」と「公案」
第三部 日本――「ありのまま」から「観無常」へ
第七章 空海以前と空海の思想
仏教以前の思想/形而上学の無用/仏教の伝来/「聖徳太子」の意義/最澄の登場/大乗戒の導入/空海の密教思想/独自の言語論/言語と存在の一致/超越の溶解
第八章 天台本覚思想と法然の革命
「ありのまま」の肯定/「天台本覚思想」の形成/初期の本覚思想/「ありのまま」主義の昂進/「ありのまま」の形而上学/浄土教の広まりと末法思想/法然の思想的革命/「一神教」的パラダイム/「日本」との断絶/浄土教の革命
第九章 親鸞と道元の挑戦
「ありのまま」主義の超克/法然と親鸞、その非連続/照らし出される「悪人」/『歎異抄』の言葉/「信」への問いと『教行信証』/『教行信証』の核心/仏教の突破/「観無常」の思想/「身心脱落」の修行/「非思量」の坐禅/行為としての実存/縁起する実存/修行する実存の編成/我らが時代の「仏教」
エピローグ――私の無常
おわりに
序章 問いの在りか
死と自己/「無常」という実存/超越、または根拠への欲望/ブッダの思想はいかに変化したのか/最大の問題は「言語」である/実存の無常と超越への希求/「現代」への問い
第一部 インド――無常の実存、超越の浸透
第一章 ゴータマ・ブッダ
決定的わからなさ/青年シッダッタの問題意識/二つの禅定の否定/苦行の否定/「無常」と「無我」の教え/「無明」の発見/「無明」の解毒としての「無記」/ブッダの「悟り」/実践の意味
第二章 アビダルマ、般若経典、華厳経典の思想
要素分割主義のはじまり/アビダルマの思想/般若経典の「空」/妄想からの離脱と実践、「空」の「実体」化/大乗仏典のブッダ/全体論的世界観へ/唯心の思想
第三章 法華経、浄土経典、密教経典の思想
「絶対」の主張/「普遍性」の保証としての「授記」/「永遠性」と見せかけの「死」/「法師」と「常不軽菩薩」/救済思想の導入/救済を可能にする「誓願(本願)」/「救済」の普遍性と念仏/超越の実存化、あるいは超越としての実存/「一致」の実践と言語
第四章 竜樹と無着・世親の思想
無記と空の論理/言語と形而上学の解体/言語という無明と実存の構造/認識の形而上学/核心としての言語/言語としてのアーラヤ識/言語と意識の解体
第ニ部 中国――超越論思想としての中国仏教
第五章 中国仏教、智顗と法蔵の思想
「天」の形而上学/「道」の形而上学/「格義」の仏教――初期の中国的受容/天台智顗の思想/「実体」の論理とその前提/「円融」の存在論/唯識思想の導入による「空」理解/「法界縁起」の理論化
第六章 中国浄土教と禅の思想
救済思想の構築/「濁世」と「衆生」/実体化への躊躇/「絶対」の救済/中国禅における断絶/中国禅の「心」主義と「見性」/「不立文字 教外別伝 直指人心見性成弘」/「清規」と「公案」
第三部 日本――「ありのまま」から「観無常」へ
第七章 空海以前と空海の思想
仏教以前の思想/形而上学の無用/仏教の伝来/「聖徳太子」の意義/最澄の登場/大乗戒の導入/空海の密教思想/独自の言語論/言語と存在の一致/超越の溶解
第八章 天台本覚思想と法然の革命
「ありのまま」の肯定/「天台本覚思想」の形成/初期の本覚思想/「ありのまま」主義の昂進/「ありのまま」の形而上学/浄土教の広まりと末法思想/法然の思想的革命/「一神教」的パラダイム/「日本」との断絶/浄土教の革命
第九章 親鸞と道元の挑戦
「ありのまま」主義の超克/法然と親鸞、その非連続/照らし出される「悪人」/『歎異抄』の言葉/「信」への問いと『教行信証』/『教行信証』の核心/仏教の突破/「観無常」の思想/「身心脱落」の修行/「非思量」の坐禅/行為としての実存/縁起する実存/修行する実存の編成/我らが時代の「仏教」
エピローグ――私の無常
おわりに