新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
真宗大谷派の革新運動
白川党・井上豊忠のライフヒストリー
明治中期、真宗大谷派の学僧清沢満之と井上豊忠ら六人の白川党が宗務改革を志し、全国的な一大運動となるが、宗政当局の術策により挫折した。新発掘の井上の日誌を中心に幅広い史料を活用し、彼のライフヒストリーを軸に白川党の活動を克明に分析。蹶起から挫折に至る全軌跡を明らかにし、現代大谷派宗門改革の源流を初めて解き明かした労作。
序論―本書の課題・視点・意義
白川党の軍師井上豊忠
コンボイのライフヒストリー
白川党研究の意義
Ⅰ 白川党結成への道
一、第一の出会いと最初の岐路
井上豊忠の略歴
渥美契縁との出会い
宗政への関心とその原体験
最初の岐路
二、第二の出会いと同志六人
清沢満之との出会い
同志六人の登場
仕事始め、そして友情の深まり
渥美執事との「対話随問」
三、本山の問題状況
両堂再建
債務償却
教学振興の問題
四、教学再興の道
辞職か留任か、三氏の去就
沢柳政太郎招聘
今川の合流、沢柳の着任、清沢の発病
学制改革の歩み
寺務所での井上―得意から失意へ
教学部の職務分担
五、学制改革への反動
不平中学寮生との騒動
執事と学寮改革派との対立
執事渥美夫妻の狂態
沢柳離任
六、「腐木」を彫る
学寮所化の執事非難を巡る紛糾
寺務改正の建言書
教学資金積立法問題
法主親示の衝撃
Ⅱ 白川党と寺務革新運動
一、寺務革新運動と『教界時言』
軍師井上豊忠の登場
白川党同志の辞職
『教界時言』発刊へ
『教界時言』発刊の衝撃
運動の展開
渥美側の反撃と敗北
二、事務革新全国同盟会の結成
「革新の要領」
事務革新全国同盟会
主唱者の処分
三、寺務革新運動の成果
法主への請願
大中学生の復学
四、事務革新全国同盟会の苦闘
残された問題
議制局臨時会
占部観順の異安心問題
議制局通常会まで
五、事務革新全国同盟会解散へ
「宗制寺法補則」の公布
全国同盟会の解散
Ⅲ 白川会と井上豊忠
一、寺門の革新
私事改革優先
改革と創設
二、白川会と宗政当局
同志の結集と身分復旧
白川会の路線転換
三、第二の岐路を越えて
本山の要請に応ずべきや否や
最後の岐路
末寺住職として
教学僧として
四、清沢満之の終焉
真宗大学学監宗忍、そして辞職
清沢との永別
五、井上豊忠のその後
地方自治的教学の振興
明治三七年の政変
追憶の先師清沢満之
宗政への最後の関わり
法讃寺宿年の課題
井上豊忠の終焉
結論
宗門改革運動における白川党
革新コンボイとしての白川党
井上豊忠の生涯
註
文献一覧
白川党の軍師井上豊忠
コンボイのライフヒストリー
白川党研究の意義
Ⅰ 白川党結成への道
一、第一の出会いと最初の岐路
井上豊忠の略歴
渥美契縁との出会い
宗政への関心とその原体験
最初の岐路
二、第二の出会いと同志六人
清沢満之との出会い
同志六人の登場
仕事始め、そして友情の深まり
渥美執事との「対話随問」
三、本山の問題状況
両堂再建
債務償却
教学振興の問題
四、教学再興の道
辞職か留任か、三氏の去就
沢柳政太郎招聘
今川の合流、沢柳の着任、清沢の発病
学制改革の歩み
寺務所での井上―得意から失意へ
教学部の職務分担
五、学制改革への反動
不平中学寮生との騒動
執事と学寮改革派との対立
執事渥美夫妻の狂態
沢柳離任
六、「腐木」を彫る
学寮所化の執事非難を巡る紛糾
寺務改正の建言書
教学資金積立法問題
法主親示の衝撃
Ⅱ 白川党と寺務革新運動
一、寺務革新運動と『教界時言』
軍師井上豊忠の登場
白川党同志の辞職
『教界時言』発刊へ
『教界時言』発刊の衝撃
運動の展開
渥美側の反撃と敗北
二、事務革新全国同盟会の結成
「革新の要領」
事務革新全国同盟会
主唱者の処分
三、寺務革新運動の成果
法主への請願
大中学生の復学
四、事務革新全国同盟会の苦闘
残された問題
議制局臨時会
占部観順の異安心問題
議制局通常会まで
五、事務革新全国同盟会解散へ
「宗制寺法補則」の公布
全国同盟会の解散
Ⅲ 白川会と井上豊忠
一、寺門の革新
私事改革優先
改革と創設
二、白川会と宗政当局
同志の結集と身分復旧
白川会の路線転換
三、第二の岐路を越えて
本山の要請に応ずべきや否や
最後の岐路
末寺住職として
教学僧として
四、清沢満之の終焉
真宗大学学監宗忍、そして辞職
清沢との永別
五、井上豊忠のその後
地方自治的教学の振興
明治三七年の政変
追憶の先師清沢満之
宗政への最後の関わり
法讃寺宿年の課題
井上豊忠の終焉
結論
宗門改革運動における白川党
革新コンボイとしての白川党
井上豊忠の生涯
註
文献一覧