近代教育学の功罪を指摘し、大乗精神を最も具体化する親鸞の浄土真宗の立場から、近代教育学の脱構築と、浄土真宗的教育人間学の体系化を目指す。
浄土真宗的教育人間学研究 目次
まえがき
Ⅰ 序説 現代と浄土教
第一章 ニヒリズムと仏教教育――近代教育の根本問題を問う
一 教育における対話の原理
二 大乗仏教の教育構造
三 懐疑とニヒリズム
四 現代における仏教教育の意義
Ⅱ 現代人間学と仏教教育
第二章 仏教教育の人間学的基礎――仏教教育の特質と可能性
はじめに
一 現代哲学における哲学的人間学の位置
二 文化人間学と教育人間学
三 仏教教育の本質と課題
第三章 生きる力の臨床教育人間学的考察
はじめに
一 臨床の場
二 「生きる」ことの二つの類型
三 現代教育における「生きる力」の問題点
四 生きることの不条理
五 生きる意味の自覚
六 人間形成の方向
第四章 ランゲフェルドの「子どもの人間学」と西田哲学と親鸞思想
はじめに
一 教育学研究の視点と教育人間学
二 ランゲフェルドの近代批判と人間研究の思索
三 ランゲフェルドの「子どもの人間学」と超越の問題
四 ランゲフェルドの宗教教育学――西田哲学と親鸞思想の視点からの批判
第五章 教育学における親鸞思想の人間学的位置――近代教育学の脱構築に向けて
一 現代教育学の課題
二 近代教育学の根本問題
三 近代教育学の脱構築の人間学的地平――親鸞的脱構築の可能性
Ⅲ 近代教育学と親鸞思想
第六章 近代教育学の根本問題と「心の教育」の仏教的基盤――近代的思惟から仏教的思惟へ
はじめに
一 近代教育学の本質的特徴
二 近代教育学の何が問題か
(1)人間の生の絶対化
(2)教育の背理性
三 教育学の新たな視点――「心の教育」の基盤としての仏教
第七章 浄土教の視点から心の教育を考える――親鸞の三心釈を中心に
はじめに
一 「心の教育」を考える教育学の視点――大人と子どもの本質的関係
二 親鸞の日本仏教教育史における位置
三 三心釈の論理
四 親鸞における三心釈の実存的背景
五 世俗化と心の教育――教育学研究の方向
第八章 浄土の教育学――教育の構造と「私」の本質
はじめに
一 現代日本の教育意識と教育学研究の視点
二 教育の構造と現実
三 人間学的視点
四 浄土の教育学
Ⅳ 浄土真宗と人間形成
第九章 浄土真宗の建学精神――真宗の学問観と教育の可能性
はじめに
一 仏教教育の典型としての禅林教育と浄土真宗の教育
二 浄土真宗の学問観とはどのようなものか
三 浄土真宗の建学の精神
四 近代浄土真宗の根本問題と真宗の超越的教育の必要性
第十章 人間形成と浄土真宗の社会倫理
はじめに
一 人間形成の原理と意味空間としての世界
二 戦後の人間形成の視点
三 浄土真宗の社会倫理の根本問題――廃仏毀釈と真俗二諦論
四 浄土真宗の社会倫理を構築するための本願の絶対性と戦後の個人主義
五 浄土真宗の社会倫理を構築する視点
六 真俗二諦論の問題性と浄土真宗の社会倫理構築のための地平
第十一章 教育における妙好人的心性の陶冶――人間形成上の宗教の意味
はじめに
一 教育の論理――近代教育の構造
二 教育の論理の自己矛盾――近代教育に即して
三 教育と宗教の接点
四 人間の生死の問題と浄土真宗的宗教陶冶
第十二章 親鸞における「悪人正機」の教育学的意義――近代の世界史的構造と生の本質
はじめに
一 現代日本の状況と教育学の学問性
二 近代の教育の論理と人間のデモーニッシュ性
三 親鸞の悪人正機と近代教育学の脱構築の問題
第十三章 法然における師資相承と現代教育の課題――人間の共生の問題を問う
はじめに
一 法然とは誰か――師資相承の視点から
二 超越的意識を否定する近代知の形而上学的根拠
三 現代教育の根本問題としての神の死と共生意識の喪失
四 西田幾多郎のデカルト批判と現代教育の課題――教育の仏教的展開の必要性
Ⅴ 後書 まとめ
第十四章 自律した仏教教育学の構築について――宗教の学習権の獲得に向けて
あとがき
索引