2024年10月書店売上 - 2024.11.01
ごまかさない仏教 【新潮選書】
仏・法・僧から問い直す
どのお経が「正典」なのか? 「梵天勧請」はなぜ決定的瞬間なのか? 釈迦が悟ったのは本当に「十二支縁起」なのか? 「無我」と「輪廻」はなぜ両立するのか? 日本仏教にはなぜ「サンガ」がないのか? 日本の仏教理解における数々の盲点を、二人の仏教者が、ブッダの教えに立ち返り、根本から問い直す「最強の仏教入門」。
はじめに――宮崎哲弥
序章 仏教とは何か
仏教の不思議
「正典」は何か
釈迦は何語を話していたのか
中村元のバイアス
第一章 仏――ブッダとは何者か
仏伝を読む
ブッダは実在したか
仏伝はどのように作られたか
「天上天下唯我独尊」の真意とは
「四門出遊」はよく練られた作り話
なぜ苦行では悟れないのか
釈迦はどうやって悟ったのか
釈迦は何を悟ったのか
布施と托鉢の始まり
何のために布施をするのか
梵天勧請(1)――釈迦はエゴイストなのか
梵天勧請(2)――釈迦はなぜ他人を救う決意をしたのか
出家ラッシュの謎
「本山」も「跡継ぎ」もないインターネット形式
阿羅漢ラッシュの謎
釈迦のお葬式は誰がやったのか
諸仏とは何者なのか
第二章 法――釈迦の真意はどこにあるのか
仏教の基本OS
1.縁起
縁起とは何か
「一方向」か「双方向」か
釈迦と龍樹の縁起観の違い
アビダルマの縁起説
四縁説の縁起観とは
釈迦は輪廻を認めていたのか
輪廻業報思想と差別
仏教に輪廻は必要なのか
修行と縁起
無明とは何か
善因善果か善因楽果か
アングリマーラはなぜ悟れたのか
「悟りワールド」と「輪廻ワールド」
2.苦
苦とは何か
四苦八苦
苦の三つの側面
死に至る病の喩え
一切快楽と常楽我浄
3.無我
無我とは何か
有身見という根本煩悩
アートマンは存在するか
無我説か非我説か
輪廻の主体は何か
自己責任と廻向
4.無常
無常とは何か
三世実有――未来から過去に流れる時間
時間の経過は直接把握できるか
経部と唯識派
龍樹の「空」の理論
第三章 僧――ブッダはいかに教団を運営したか
サンガと律
サンガは本当に必要なのか
組織化の功罪
文化維持装置としてのサンガ
なぜ日本仏教にサンガがないのか
幻のサンガ復興運動
オウム真理教と律
六本の律の謎
なぜ性行為は禁止なのか
律はどのようにして作られたか
許される殺人はあるのか
「ブッダの殺人」はなぜ伝えられたのか
悟りを証明できるか
大乗仏教の起源の謎
テーラワーダの原理主義化
藤本晃氏の言説が含む問題点
仏教と仏教学、仏教者と仏教学者
おわりに――佐々木閑
序章 仏教とは何か
仏教の不思議
「正典」は何か
釈迦は何語を話していたのか
中村元のバイアス
第一章 仏――ブッダとは何者か
仏伝を読む
ブッダは実在したか
仏伝はどのように作られたか
「天上天下唯我独尊」の真意とは
「四門出遊」はよく練られた作り話
なぜ苦行では悟れないのか
釈迦はどうやって悟ったのか
釈迦は何を悟ったのか
布施と托鉢の始まり
何のために布施をするのか
梵天勧請(1)――釈迦はエゴイストなのか
梵天勧請(2)――釈迦はなぜ他人を救う決意をしたのか
出家ラッシュの謎
「本山」も「跡継ぎ」もないインターネット形式
阿羅漢ラッシュの謎
釈迦のお葬式は誰がやったのか
諸仏とは何者なのか
第二章 法――釈迦の真意はどこにあるのか
仏教の基本OS
1.縁起
縁起とは何か
「一方向」か「双方向」か
釈迦と龍樹の縁起観の違い
アビダルマの縁起説
四縁説の縁起観とは
釈迦は輪廻を認めていたのか
輪廻業報思想と差別
仏教に輪廻は必要なのか
修行と縁起
無明とは何か
善因善果か善因楽果か
アングリマーラはなぜ悟れたのか
「悟りワールド」と「輪廻ワールド」
2.苦
苦とは何か
四苦八苦
苦の三つの側面
死に至る病の喩え
一切快楽と常楽我浄
3.無我
無我とは何か
有身見という根本煩悩
アートマンは存在するか
無我説か非我説か
輪廻の主体は何か
自己責任と廻向
4.無常
無常とは何か
三世実有――未来から過去に流れる時間
時間の経過は直接把握できるか
経部と唯識派
龍樹の「空」の理論
第三章 僧――ブッダはいかに教団を運営したか
サンガと律
サンガは本当に必要なのか
組織化の功罪
文化維持装置としてのサンガ
なぜ日本仏教にサンガがないのか
幻のサンガ復興運動
オウム真理教と律
六本の律の謎
なぜ性行為は禁止なのか
律はどのようにして作られたか
許される殺人はあるのか
「ブッダの殺人」はなぜ伝えられたのか
悟りを証明できるか
大乗仏教の起源の謎
テーラワーダの原理主義化
藤本晃氏の言説が含む問題点
仏教と仏教学、仏教者と仏教学者
おわりに――佐々木閑