信長と死闘を繰り広げた「一向一揆」や「石山合戦」は、後世に創作された虚像なのか? 「軍記」という「物語」に隠された作者の意図を読み解き、物言えぬ者たちの実像をあぶりだす意欲的試み。
はじめに――「石山」呼称問題
「石山本願寺」は存在しなかった/「特別な一揆」と「特別な言葉」
第一章 軍記の治者目線
『朝倉始末記』――坊主の数珠つなぎ/『織田軍記』――なぶり殺し、むしりちらす/星野恒の論文――英雄に抗した者の必然/『絵本拾遺信長記』――一揆の立場で語り直す/歴史を語るということ/「石山合戦」の概要/一揆といえば百姓、百姓といえば丸腰
第二章 同時代の軍記に描かれた「本願寺」と「一揆」(1550~1600年ごろ)
『細川両家記』――一揆といえば本願寺門徒/『越州軍記』――一揆は蜘蛛や蚯蚓/強欲さと阿弥陀信仰/『信長公記』――竹槍集団の恐怖/「新門跡大坂退出の次第」――「水上の御堂」の繁栄/本願寺の阿弥陀を信じる百姓が自らの判断で蜂起する/御文の教え
第三章 『甫庵信長記』と元和・寛永期の軍記(1610~1660年頃)
『甫庵信長記』――創業から守成へ/一揆征伐は万民のため/『三河物語』――家康と一揆の死闘/『勢州軍記』――悪逆の男女/『新撰信長記』――「かんじき」を履く一揆/一揆は謀反
第四章 寛文・延宝期の読み物的軍記(1660~1690年ごろ)
『足利季世記』――「一向一揆」の完敗/『後太平記』――本願寺門徒は白犬だ/無知文盲の「門徒一揆」/善知識信仰/本願寺安置の親鸞像/生き如来への信仰/『本朝通鑑』と『武徳大成期』――林家編纂所/本音は秘本にしか書けない/「一向宗」の定着/「一向宗」と「真宗」「浄土真宗」
第五章 元禄期の軍記と宗門書の交錯(1690~1720年ごろ)
『本願寺表裏問答』――東西本願寺の末寺獲得競争/論旨よりエピソード/『叢林集』――信心内心の教え/『明智軍記』と『織田軍記』――軍記は本願寺嫌い/『北陸七国志』――民は黙って従うべし/『陰徳太平記』――石山合戦の種本/「石山」呼称の採用/「たかが一揆」には違いない
第六章 法座の文芸(1710~1770年ごろ)
唱導台本『石山軍記』――石山合戦譚の誕生/奪おうとする者から守り抜く戦い/『石山軍艦』――出版統制に写本で対応する/一話読み切りから長編へ/陰の主人公・秀吉/本願寺はどうしても憎まれる/「諸国の一揆」への否定的視線/本願寺護持のための一揆
第七章 「庶民の石山」の系譜(1770~1880年ごろ)
『信長記拾遺』――本願寺の規制と仏書屋の冒険/『帰命曲輪文章』――大坂での歌舞伎上演/太閤記物と石山軍記物/劇化される絵本読本/『絵本太閤記』と『絵本拾遺信長記』――江戸後期の発禁本たち/中央と地方の連携/秀吉が本願寺を軍事利用する/「一揆」と「衆議」/東本願寺寛政度造営/加賀の奉納絵馬――一揆の地で花開く禁書
第八章 明治十年代の爆発的流行(1870~1900年ごろ)
『御文章石山軍記』――歌舞伎が一揆を讃える/浄瑠璃
・パノラマ――本山を守る門徒群像/『絵本石山軍記』――金属活字の威力/法座の語りと講談/芸能が書物の読み方を規定する
第九章 「知識人の大坂」(1780~1850年ごろ)
聖典『五帖御文』――宗門知識人の石山合戦・一向一揆/『大谷本願寺通紀』――「軍記の武士目線」の指摘/本願寺は石山にあった/唱導台本の隠れた影響/『常山紀談』――キリシタンと一向門徒/『日本外史』――日本の「賊」は本願寺/『改正三河後風土記』と『徳川実紀』――幕府の史書と三河一揆/治者の目というもの/「石山」と「一向一揆」
第十章 近代の知識人たち(1880~1910年ごろ)
学問の基礎は軍記/「一向一揆」の定着/東京の仏教学/村上専精『日本仏教史綱』――国家の発展への寄与を語る/小中学校の教科書――一揆は「わがまま」/中村徳五郎『戦国時代本願寺』――一揆逆賊観/殖産興業と一向一揆
第十一章 「石山合戦」の「常識」化(1910~1920年ごろ)
絵画・口語りから文字へ/『本願寺誌要』――真宗史のはじまり/村上専精『真宗全史』――法難と勢力伸長の関係/「石山本願寺」と「石山合戦」/徳冨蘇峰『近世日本国民史』――教権が俗権にひざまづく
第十二章 「石山合戦」という術語
特別な一揆、特別な合戦/軍記の特別視/誤読は「誤った読み方」か/芸能の地名、教科書の地名
使用テキスト・参考文献/あとがき