新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
京大人文研東方学叢書 8 仏教の聖者
史実と願望の記録
信じれば仏になれるのか―― 仏教の聖者観を根本から問い直す!
仏教の歴史のなかに聖者はいたのか、いなかったのか。
素朴な問いに端を発する仏教の聖者への関心は、やがて信仰の内実へとつながる大きな問いへと発展していく――
仏教史に名を残す学派の祖師や学僧たちは、どのような修行を行い、いかなる宗教的階位に到達したのか。
原典資料を読み解き、誤った理解が蔓延する仏教の聖者観を問い直す。
巻末に基本用語集を収録。
仏教の歴史のなかに聖者はいたのか、いなかったのか。
素朴な問いに端を発する仏教の聖者への関心は、やがて信仰の内実へとつながる大きな問いへと発展していく――
仏教史に名を残す学派の祖師や学僧たちは、どのような修行を行い、いかなる宗教的階位に到達したのか。
原典資料を読み解き、誤った理解が蔓延する仏教の聖者観を問い直す。
巻末に基本用語集を収録。
序
(一) 聖者をめぐる素朴な問い
(二) わたくしの関心
(三) インドの祖師たちと菩薩の十地
附論 宗教文献の扱い方
第一章 聖者を表す言葉
第一節 これまでの聖者観
第二節 聖者の葬り方
第三節 漢訳仏典の「聖」「聖人」
第四節 漢訳「賢聖」について
第五節 「仙人」と「真人」
第六節 日本語の「聖(ひじり)」
□コラム 僧名1 ヴァスバンドゥという名の由来
第二章 聖者を騙ると……
第一節 僧伝に描かれた聖者
第二節 自称聖者と偽聖者
第三章 安易な聖者化――語り物的な描写
第一節 僧伝に見る聖者と小乗の修行
第二節 中国的な大乗のイメージ
□コラム 僧名2 インドの僧名と出身階級
第四章 聖者の数
第一節 聖者になれる人は多い
第二節 聖者は極めて少ない
第五章 聖者になる修行
第一節 五世紀末に転換した聖者論
第二節 偽経『菩薩瓔珞本業経』の三十心
第三節 初地の意義と二重性
第四節 インド仏教の修行体系――小乗と大乗
第五節 玄奘門下の修行体系
□コラム 時間1 「クシャナ(刹那)」という最短の時間
第六章 仏教から道教へ、キリスト教へ
第一節 道教への影響
第二節 仏教の「聖」を引き継いだキリスト教
第三節 「聖地」という言葉
第七章 理論と信仰の狭間で
第一節 聖者の証し
第二節 到達可能性と論述可能性
第三節 慧思と智顗の自覚
第四節 玄奘と兜率天
第五節 弥勒の内院とは
□コラム 時間2 インドに四季はあるのか
第八章 「異香、室に満つ」
第一節 死後の「頂暖」
第二節 臨終の指
第三節 臨終の「異香」
第四節 救済を願って
第五節 異香のイメージ――どんな匂いか
□コラム 時間3 「カルパ(劫)」という最長の時間
終わりに 聖者伝は史実か、願望の記録か
(一) 聖者をめぐる素朴な問い
(二) わたくしの関心
(三) インドの祖師たちと菩薩の十地
附論 宗教文献の扱い方
第一章 聖者を表す言葉
第一節 これまでの聖者観
第二節 聖者の葬り方
第三節 漢訳仏典の「聖」「聖人」
第四節 漢訳「賢聖」について
第五節 「仙人」と「真人」
第六節 日本語の「聖(ひじり)」
□コラム 僧名1 ヴァスバンドゥという名の由来
第二章 聖者を騙ると……
第一節 僧伝に描かれた聖者
第二節 自称聖者と偽聖者
第三章 安易な聖者化――語り物的な描写
第一節 僧伝に見る聖者と小乗の修行
第二節 中国的な大乗のイメージ
□コラム 僧名2 インドの僧名と出身階級
第四章 聖者の数
第一節 聖者になれる人は多い
第二節 聖者は極めて少ない
第五章 聖者になる修行
第一節 五世紀末に転換した聖者論
第二節 偽経『菩薩瓔珞本業経』の三十心
第三節 初地の意義と二重性
第四節 インド仏教の修行体系――小乗と大乗
第五節 玄奘門下の修行体系
□コラム 時間1 「クシャナ(刹那)」という最短の時間
第六章 仏教から道教へ、キリスト教へ
第一節 道教への影響
第二節 仏教の「聖」を引き継いだキリスト教
第三節 「聖地」という言葉
第七章 理論と信仰の狭間で
第一節 聖者の証し
第二節 到達可能性と論述可能性
第三節 慧思と智顗の自覚
第四節 玄奘と兜率天
第五節 弥勒の内院とは
□コラム 時間2 インドに四季はあるのか
第八章 「異香、室に満つ」
第一節 死後の「頂暖」
第二節 臨終の指
第三節 臨終の「異香」
第四節 救済を願って
第五節 異香のイメージ――どんな匂いか
□コラム 時間3 「カルパ(劫)」という最長の時間
終わりに 聖者伝は史実か、願望の記録か