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『修証義』解説
道元禅師に学ぶ人間の道
明治時代の中頃に、道元(1200-1253年)の主著『正法眼蔵』から抜粋して編集された『修証義』。曹洞宗の「宗典」であると共に、広く仏教徒の生き方を説くものでもある『修証義』を、原文・訳文・解説の三段構成で、著者の体験を織り交ぜながらわかりやすく解き明かす。
刊行に寄せて
序説 『修証義』とは何か?
『修証義』の成り立ち
『修証義』の大意
第一章 総序(第一節~第六節)
生と死を明らめるとは
死が自然に訪れるまで生きぬく
人間として生まれ生きており
大いなるものに生かされている命
因があり縁があって花が咲く
因と果は三世にわたって続く
過去から未来へ、一つながりの命
いつか消える人類、地球、太陽
今ある命をひたすらに生きる
第二章 懺悔滅罪(第七節~第十節)
まことの懺悔なくしては入れぬ門
悔いなき人生は執着なき心から
将来仏祖となる自覚をもとう
真の懺悔には仏祖の助けあり
第三章 受戒入位(第十一節~第十七節)
仏法僧を心から敬うために
霊の力で苦の解決はできない
私の胸に響いた「心の声」
苦から解放するのは自らの身心
三宝に帰依すれば無上の覚りあり
浄信とは自他が一つと信じること
戒は信心からの自発的行為
仏教徒として生きるための灯り
お酒はお清め程度のたしなみ
戒は覚りに導く具体的な指標
我は仏と目覚め、仏として歩む
第四章 発願利生(第十八節~第二十五節)
衆生を彼岸に渡そうという願い
授け授けられ老病死海を渡りたい
布施は世のため人のため
お布施は仏法僧へのお供え
心からの帰依と感謝の念を込めて
愛語とは慈愛に溢れた言葉
困っている人を助ける、これが菩薩
他者の苦悩に寄り添い救うこと
教えを灯りとして今日を生きる
第五章 行持報恩(第二十六節~第三十一節)
般若とは仏の御いのちの現れ
苦悩の人生で出会う仏の教え
仏祖の行持より来たれる慈恩
今生のわが身を菩薩として生きる
たとえ一日の修業でも諸仏の種
発心・修業・菩薩・涅槃の心こそ仏
一度の人生、よくぞ仏教に出会いし
附巻 『修証義』原文と”詩訳”
あとがき
参考文献
序説 『修証義』とは何か?
『修証義』の成り立ち
『修証義』の大意
第一章 総序(第一節~第六節)
生と死を明らめるとは
死が自然に訪れるまで生きぬく
人間として生まれ生きており
大いなるものに生かされている命
因があり縁があって花が咲く
因と果は三世にわたって続く
過去から未来へ、一つながりの命
いつか消える人類、地球、太陽
今ある命をひたすらに生きる
第二章 懺悔滅罪(第七節~第十節)
まことの懺悔なくしては入れぬ門
悔いなき人生は執着なき心から
将来仏祖となる自覚をもとう
真の懺悔には仏祖の助けあり
第三章 受戒入位(第十一節~第十七節)
仏法僧を心から敬うために
霊の力で苦の解決はできない
私の胸に響いた「心の声」
苦から解放するのは自らの身心
三宝に帰依すれば無上の覚りあり
浄信とは自他が一つと信じること
戒は信心からの自発的行為
仏教徒として生きるための灯り
お酒はお清め程度のたしなみ
戒は覚りに導く具体的な指標
我は仏と目覚め、仏として歩む
第四章 発願利生(第十八節~第二十五節)
衆生を彼岸に渡そうという願い
授け授けられ老病死海を渡りたい
布施は世のため人のため
お布施は仏法僧へのお供え
心からの帰依と感謝の念を込めて
愛語とは慈愛に溢れた言葉
困っている人を助ける、これが菩薩
他者の苦悩に寄り添い救うこと
教えを灯りとして今日を生きる
第五章 行持報恩(第二十六節~第三十一節)
般若とは仏の御いのちの現れ
苦悩の人生で出会う仏の教え
仏祖の行持より来たれる慈恩
今生のわが身を菩薩として生きる
たとえ一日の修業でも諸仏の種
発心・修業・菩薩・涅槃の心こそ仏
一度の人生、よくぞ仏教に出会いし
附巻 『修証義』原文と”詩訳”
あとがき
参考文献