和歌には仏や寺々のことがよく詠まれており、教義・思想としては難解な仏教がよくわかる。仏教は理屈ではなく心に響くものであり、その心を歌が伝えているからだ。日本仏教のあゆみを歌でたどる本書には俳句、今様、浄瑠璃、狂歌なども幅広く取り上げられている。作者も天皇・皇族、貴族、僧、武士、町民、近代の歌人・作家など多彩で、日本の文化全体に浸透した仏教のあゆみをたどる。
内容は時代によって五部に分けられている。
第一部「飛鳥・奈良時代」には仏教が伝来し、国分寺と東大寺建立に象徴される鎮護国家の仏法が興隆した。日本仏教の基点におかれる聖徳太子と行基があらわれ、それぞれの歌が伝わる。
第二部「平安時代」には小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらに」の歌のように諸行無常の無常感が感性と美意識を育んだ。「出家する女と男」の事情も解説。
第三部「鎌倉・室町・安土桃山時代」には 今日の主要宗派の開祖があらわれ、それぞれの歌が伝わる。戦国武将も歌を詠むことをたしなみとした。
第四部「江戸時代」には仏教が日常の生き方として語られるようになり、いわゆる道歌が盛んにつくられた。また、彼岸・お盆など四季の仏教行事が俳句の季語になった。
第五部「近現代」でも暮らしに仏教が生きており、森鷗外、正岡子規、夏目漱石、西田幾多郎、樋口一葉、斎藤茂吉、種田山頭火、斎藤茂吉、種田山頭火、北原白秋、石川啄木、宮沢賢治などの短歌や俳句にも仏のことが歌われている。
[はじめに]歌でたどる日本仏教のあゆみ
第一部 飛鳥・奈良時代
家ならば妹が手まかむ草枕 聖徳太子
北山にたなびく雲の青雲の 持統天皇
巻向の山辺とよみて行く水の 柿本人麻呂
常磐なすかくしもがもと思へども 山上憶良
山鳥のほろ/\と鳴く声聞けば 行基菩薩
三十あまり二つの姿そなへたる 光明皇后
うつせみは数なき身なり山川の 大伴家持
◆仏教の伝来
第二部 平安時代
阿耨多羅三藐三菩提の仏たち 伝教大師最澄
法性のむろとゝいへどわがすめば 弘法大師空海
おほかたに過ぐる月日をながめしは 慈覚大師円仁
泣く涙雨と降らなむ渡り川 小野篁
法の舟さしてゆく身ぞもろもろの 智証大師円珍
つひにゆく道とはかねて聞きしかど 在原業平
人毎に今日/\とのみ恋ひらるゝ 理源大師聖宝
花の色はうつりにけりないたづらに 小野小町
山は雪水は氷となりはてて 菅原道真
一度も南無阿弥陀仏と言ふ人の 空也上人
その昔の斎ひの庭にあまれりし 慈恵大師良源
憂き世をばそむかば今日もそむきなん 慶滋保胤
われだにもまづ極楽に生れなば 恵心僧都源信
阿弥陀仏ととなふる声に夢さめて 選子内親王
底清く心の水を澄まさずは 藤原道長
もとめてもかかる蓮の露おきて 清少納言
風吹けばまづやぶれぬる草の葉に 藤原公任
長き夜のはじめをはりもしらぬまに 花山院
妙なりや今日は五月の五日とて 紫式部
暗よ暗道にぞ入ぬべき 和泉式部
我れはたゞあはれとぞ思ふ死出の山 能因法師
夢の中は夢もうつつも夢なれば 興教大師覚鑁
今ぞこれ入り日を見ても思ひ来し 藤原俊成
願はくは花のしたにて春死なん 西行法師
夢の世に馴れ来し契り朽ちずして 崇徳院
露の命消えなましかばかくばかり 後白河院
我等は何して老いぬらん 遊女とねくろ
◆出家する女と男
第三部 鎌倉・室町・安土桃山時代
月影のいたらぬ里はなけれども 法然上人
和らぐる光や空に満ちぬらむ 寂蓮法師
浄土にも剛の者とや沙汰すらん 熊谷直実
もろこしの梢もさびし日の本の 栄西禅師
鳥の音も浪のをとにぞかよふなる 平康頼
六道の道の衢に待てよ君 武蔵坊弁慶
人ごとに変るは夢の迷ひにて 九条兼実
これをこそ真の道と思しに 解脱上人貞慶
いにしへも夢になりにし事なれば 建礼門院
行く水に雲ゐの雁のかげみれば 鴨長明
おほけなく憂き世の民におほふ哉 慈鎮和尚慈円
生まれては終に死ぬてふ事のみぞ 平維盛
いづくにて風をも世をも恨みまし 藤原定家
雲を出でてわれに伴ふ冬の月 明恵上人
弥陀成仏のこのかたは 親鸞聖人
西の海のかりのこの世の浪の上に 後鳥羽院
時によりすぐればたみのなげきなり 源実朝
春は花夏ほととぎす秋は月 道元禅師
立ちわたる身のうき雲も晴ぬべし 日蓮聖人
ともはねよかくてもをどれ心ごま 一遍上人
雲よりも高き所に出でてみよ 夢窓国師
春近き鐘の響きの冴ゆるかな 兼好法師
この里は丹生の川上程ちかし 後醍醐天皇
ことはりは藻にすむ虫もへだてぬを 頓阿法師
よしおもへとがなき我はなげかれず 足利尊氏
有漏路より無漏路へかえる一休み 一休和尚
カリニ出デシ水ノ流レヤ泊瀬川 金春禅竹
あつき日にながるるあせはなみだかな 蓮如上人
誰もみな命は今日か飛鳥寺 細川幽斎
夏衣きつつなれにし身なれども 伊達政宗
◆武士の歌詠み
第四部 江戸時代
心たにまことの道に入ならは 沢庵和尚
せめて世をのがれしかひの身延山 元政上人
作りおく三世仏の家なれや 円空上人
閑さや岩にしみ入る蟬の声 松尾芭蕉
この世のなごり、夜もなごり 近松門左衛門
人の世やのどかなる日の寺ばやし 榎本其角
思ひ入る心の中に道しあらば 白隠禅師
柿崎の小寺尊しうめもどき 与謝蕪村
神代よりたがはぬ道しふみとめて 慈雲尊者飲光
みほとけに産湯かけたか郭公 四方赤良
鉢の子にすみれたむぽぽこき混ぜて 良寛禅師
ぼた餅や藪の仏も春の風 小林一茶
音もなく香もなく常に天地は 二宮尊徳
◆道歌・道話の時代
第五部 近現代
荒れはてゝ千代になるまで鐘の音の 福田行誡
わが庵は膝を入るるにあまりあり 釈宗演
盧舎那佛仰ぎて見ればあまたたび 森鴎外
おりたちて今朝の寒さを驚きぬ 伊藤左千夫
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
何事ぞ手向けし花に狂ふ蝶 夏目漱石
わが心深き底あり喜も 西田幾多郎
波風のありとあらずも何かせむ 樋口一葉
ゆく秋の大和の国の薬師寺の 佐佐木信綱
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀仏 高浜虚子
勿体なや祖師は紙衣の九十年 大谷句仏
恐ろしき邪淫の僧は業曝し 暁烏敏
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は 与謝野晶子
人の世に嘘をつきけるもろもろの 斎藤茂吉
鉄鉢の中へも霰 種田山頭火
垂乳根と詣でに来れば麻布やま 北原白秋
あすは元日が来る仏とわたくし 尾崎放哉
比叡山の古りぬる寺の木がくれの 若山牧水
東海の小島の磯の白砂に 石川啄木
おほいなるものゝちからにひかれゆく 九条武子
人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。 釈迢空
わが性のよきもあしきもみ仏に 岡本かの子
塵点の劫をし過ぎていましこの 宮沢賢治
[おわりに]百人一首を編む
引用・参考文献