新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
死者の民主主義
人ならざるものたちの声を聴け!
精霊や妖怪、小さな神々といったものは、単なる迷信にすぎないのだろうか。
それらを素朴に信じてきた人びとこそが、社会の担い手だったのではなかったか。
いま私たちは、近代化のなかで見過ごされてきたものに目を向け、
伝統にもとづく古くて新しい民主主義を考えなければならない。
死者、妖怪、幽霊、動物、神、そしてAI……
人は「見えない世界」とどのようにつながってきたのか。
古今の現象を民俗学の視点で読み解く論考集。
精霊や妖怪、小さな神々といったものは、単なる迷信にすぎないのだろうか。
それらを素朴に信じてきた人びとこそが、社会の担い手だったのではなかったか。
いま私たちは、近代化のなかで見過ごされてきたものに目を向け、
伝統にもとづく古くて新しい民主主義を考えなければならない。
死者、妖怪、幽霊、動物、神、そしてAI……
人は「見えない世界」とどのようにつながってきたのか。
古今の現象を民俗学の視点で読み解く論考集。
Ⅰ 死者の民主主義
いまこの国には「死者のための民主主義」が必要である
「私は死んだのですか?」――大震災をめぐる「幽霊」と「妖怪」
妖怪と公共
死者に「更衣」した大勢の若者たち――渋谷のハロウィンをめぐる考察
日本の祭はどこにあるのか
Ⅱ 人はなぜ「怪」を見るのか
諸星大二郎論序説
ITと怪異現象――二一世紀の妖怪を探して
VTuberは人形浄瑠璃と似ているか?
江戸時代から続く「日本人のVR羨望」
アイボの慰霊とザギトワへのご褒美
あなたは飴屋法水の『何処からの手紙』を見逃すべきではなかった
「まれびと」としての写真家――齋藤陽道展「なにものか」
『この世界の片隅に』は妖怪映画である
Ⅲ 日本人と信仰
縄文と民俗の交差点――八ヶ岳山麓の「辻」をめぐって
熊を神に祀る風習
窓いっぱいの猫の顔
移住漁民と水神信仰
「休日増」を勝ちとった江戸時代の若者たち
『沈黙』のキリシタンは、何を拝んでいたのか?
戦後日本「初詣」史――クルマの普及と交通安全祈願
大阪万博と知られざる聖地
日本人にとって「結び」とは何か――正月飾りに秘められた驚きの科学
Ⅳ さまざまな民俗学
手帳のなかの庚申塔――宮沢賢治と災害フォークロア
「青」のフォークロア――谷川健一をめぐる風景
写真と民俗学者たち
東北に向けた考現学のまなざし――今和次郎と今純三
「百姓」のフォークロア――網野善彦の歴史学と「塩・柿・蚕」
いまこの国には「死者のための民主主義」が必要である
「私は死んだのですか?」――大震災をめぐる「幽霊」と「妖怪」
妖怪と公共
死者に「更衣」した大勢の若者たち――渋谷のハロウィンをめぐる考察
日本の祭はどこにあるのか
Ⅱ 人はなぜ「怪」を見るのか
諸星大二郎論序説
ITと怪異現象――二一世紀の妖怪を探して
VTuberは人形浄瑠璃と似ているか?
江戸時代から続く「日本人のVR羨望」
アイボの慰霊とザギトワへのご褒美
あなたは飴屋法水の『何処からの手紙』を見逃すべきではなかった
「まれびと」としての写真家――齋藤陽道展「なにものか」
『この世界の片隅に』は妖怪映画である
Ⅲ 日本人と信仰
縄文と民俗の交差点――八ヶ岳山麓の「辻」をめぐって
熊を神に祀る風習
窓いっぱいの猫の顔
移住漁民と水神信仰
「休日増」を勝ちとった江戸時代の若者たち
『沈黙』のキリシタンは、何を拝んでいたのか?
戦後日本「初詣」史――クルマの普及と交通安全祈願
大阪万博と知られざる聖地
日本人にとって「結び」とは何か――正月飾りに秘められた驚きの科学
Ⅳ さまざまな民俗学
手帳のなかの庚申塔――宮沢賢治と災害フォークロア
「青」のフォークロア――谷川健一をめぐる風景
写真と民俗学者たち
東北に向けた考現学のまなざし――今和次郎と今純三
「百姓」のフォークロア――網野善彦の歴史学と「塩・柿・蚕」