新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
浄土論の唯識思想
前著『世親の浄土論と瑜伽行唯識』に引き続き、世親の『浄土論』を瑜伽行唯識の研究に対象を特化して研究する。今回は『願生偈』の「世尊我一心」の「一心」について、『摂大乗論』の用法に基づいて唯識思想固有の「一心」と捉え、新たに発見されたラツナーカラの『般若波羅蜜多論』梵文テキストによりその本質を究明する。また、曽我量深の「法藏菩薩=阿摩羅識」説についても、その出典に基づいて瑜伽行唯識説の立場から解明する。
序論
『般舟三昧経』と唯心思想
『般舟三昧経』と阿弥陀佛
般舟三昧(現在諸佛が面前に現れる三昧)・見佛
『般舟三昧経』に見られる唯識的表現
第一章 『浄土論』は瑜伽行派の著書である
一、『浄土論』は、何時、何処で、誰が修行するのか
二、曇鸞説
三、曽我説
四、経量部の認識論における有形象論
五、瑜伽行派における有形象論者と無形論者への批判
第二章 瑜伽行唯識説とは
一、唯識説は瑜伽行の修徳者・菩薩によって説かれた
二、唯識説は清浄世間智によって説かれた
三、「五念門」と瑜伽行唯識
四、「別時意趣説」について
第三章 世親の『無量寿経優波提舎願生偈』の研究
一、『願生偈』と「一心」(瑜伽行唯識の一心とは)
二、仏国土荘厳功徳(十七種功徳)=鏡智(大智蔵)の働き
三、佛の荘厳功徳(八種荘厳)=平等智の働き
四、菩薩荘厳功徳(四種荘厳)=観察智・作事智の働き
五、廻向偈(廻向門)
六、諸師に見られる「一心」の意味
七、無分別智・後得清浄世間智の世界
第四章 「一法句者謂清浄句」とは
一、一法句について
二、理綱院慧林師の「一法句」説
三、広略相入について(香厳院師の解説)
四、「一法句者謂清浄句」について
五、一法(法身、無分別智)と一法句(後得清浄世間智)
六、一法句、後得智は「無の有」である
第五章 瑜伽行派の空思想
一、中観派の空思想より瑜伽行派の空思想へ
二、瑜伽行派の空思想
三、瑜伽行派の方法で、『浄土論』の「穢土」より「浄土」への移行(転依)を想定する
第六章 無分別智・後得清浄世間智の世界
一、無分別智の成立
二、後得清浄世間智の世界
第七章 唯識論者と中観論者との対論
一、心、心所の自証は剣の刃が自らを切ることができないように不合理であると主張する中観派の主張
二、中観派の教証に対する唯識論者の反論
三、唯識論者による「顕現説=自証説=唯識説」の解説
四、瑜伽行派による、心、心所の三つの実在の証明
五、それ故、心、心所の否定は不合理であるという唯識論者の主張
第八章 ラトナーカラの『成唯識論解題』
一、「三界唯識」の論証式
二、瑜伽行派では、自証=能分別=顕現であるから、剣の刃が自らを切断するという矛盾は成立しない
三、自証ということ
四、自証を成立させる二つの重要な概念、顕現と分別
五、ダルモッタラの「灯火の譬喩」は自証説の譬喩とはならない
六、虚偽の唯識論者に対する批判
七、一つの識は多数の形象をもつというプラジュニャーカラグプタ説に対する批判
最終章、自利利他円満して「阿耨多羅三藐三菩提」を成就する
跋文
『般舟三昧経』と唯心思想
『般舟三昧経』と阿弥陀佛
般舟三昧(現在諸佛が面前に現れる三昧)・見佛
『般舟三昧経』に見られる唯識的表現
第一章 『浄土論』は瑜伽行派の著書である
一、『浄土論』は、何時、何処で、誰が修行するのか
二、曇鸞説
三、曽我説
四、経量部の認識論における有形象論
五、瑜伽行派における有形象論者と無形論者への批判
第二章 瑜伽行唯識説とは
一、唯識説は瑜伽行の修徳者・菩薩によって説かれた
二、唯識説は清浄世間智によって説かれた
三、「五念門」と瑜伽行唯識
四、「別時意趣説」について
第三章 世親の『無量寿経優波提舎願生偈』の研究
一、『願生偈』と「一心」(瑜伽行唯識の一心とは)
二、仏国土荘厳功徳(十七種功徳)=鏡智(大智蔵)の働き
三、佛の荘厳功徳(八種荘厳)=平等智の働き
四、菩薩荘厳功徳(四種荘厳)=観察智・作事智の働き
五、廻向偈(廻向門)
六、諸師に見られる「一心」の意味
七、無分別智・後得清浄世間智の世界
第四章 「一法句者謂清浄句」とは
一、一法句について
二、理綱院慧林師の「一法句」説
三、広略相入について(香厳院師の解説)
四、「一法句者謂清浄句」について
五、一法(法身、無分別智)と一法句(後得清浄世間智)
六、一法句、後得智は「無の有」である
第五章 瑜伽行派の空思想
一、中観派の空思想より瑜伽行派の空思想へ
二、瑜伽行派の空思想
三、瑜伽行派の方法で、『浄土論』の「穢土」より「浄土」への移行(転依)を想定する
第六章 無分別智・後得清浄世間智の世界
一、無分別智の成立
二、後得清浄世間智の世界
第七章 唯識論者と中観論者との対論
一、心、心所の自証は剣の刃が自らを切ることができないように不合理であると主張する中観派の主張
二、中観派の教証に対する唯識論者の反論
三、唯識論者による「顕現説=自証説=唯識説」の解説
四、瑜伽行派による、心、心所の三つの実在の証明
五、それ故、心、心所の否定は不合理であるという唯識論者の主張
第八章 ラトナーカラの『成唯識論解題』
一、「三界唯識」の論証式
二、瑜伽行派では、自証=能分別=顕現であるから、剣の刃が自らを切断するという矛盾は成立しない
三、自証ということ
四、自証を成立させる二つの重要な概念、顕現と分別
五、ダルモッタラの「灯火の譬喩」は自証説の譬喩とはならない
六、虚偽の唯識論者に対する批判
七、一つの識は多数の形象をもつというプラジュニャーカラグプタ説に対する批判
最終章、自利利他円満して「阿耨多羅三藐三菩提」を成就する
跋文