新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
京都学派の教育思想
歴史哲学と教育哲学の架橋
京都学派の哲学者で、それぞれ戦前と戦後に教育哲学を論じた木村素衞と高坂正顕の教育思想を紐解き、京都学派の教育思想を論述する。
木村素衞と高坂正顕はともに西田幾多郎のもとで学び、京都学派の「第二世代」に属する哲学者である。
本書は、木村と高坂を含む1930年代の京都学派の歴史哲学を手掛かりに、あえて両者の教育思想を貫く共通性をとらえ、京都学派の思想の特質を記述する。
それにより西田を含む京都学派の教育思想の特徴とその問題性を明らかにする。
木村素衞と高坂正顕はともに西田幾多郎のもとで学び、京都学派の「第二世代」に属する哲学者である。
本書は、木村と高坂を含む1930年代の京都学派の歴史哲学を手掛かりに、あえて両者の教育思想を貫く共通性をとらえ、京都学派の思想の特質を記述する。
それにより西田を含む京都学派の教育思想の特徴とその問題性を明らかにする。
序章 京都学派の教育思想の記述に向けて
第一節 問題の所在
第二節 教育哲学の領域における京都学派への着目と、切り離された「負」の側面
第一章 戦後の教育学における京都学派
第一節 はじめに──京都学派とはだれのことなのか
第二節 戦後の教育論争における京都学派
第三節 教育学におけるポストモダンと京都学派の再評価
第四節 木村素衞研究から「京都学派教育学」へ
第五節 おわりに──「歴史的主体」形成の教育理論の探究へ
第二章 高坂正顕の教育思想
第一節 はじめに──高坂正顕の教育哲学と歴史哲学
第二節 歴史的世界の構造について
第三節 歴史的基体への着目
第四節 歴史哲学から教育哲学へ
第五節 おわりに──「無」の思想の可能性と問題性
第三章 なぜ歴史の主体でなくてはならないのか
第一節 はじめに──「期待される人間像」と無私の思想
第二節 高坂の逆超越と西田哲学の逆対応
第三節 歴史的世界における逆限定
第四節 歴史的世界の「無」的性格とその根源について
第五節 おわりに──歴史的主体の論理としての高坂哲学の可能性
第四章 木村素衞の教育思想
第一節 はじめに──木村における形成概念の歴史性
第二節 『表現愛』(1939年)における歴史の問題
第三節 『国家に於ける文化と教育』(1946年)における歴史の問題
第四節 おわりに──京都学派の教育哲学と歴史哲学
第五章 歴史的主体形成の思想としての京都学派の教育思想
第一節 はじめに──歴史的主体の形成という京都学派の問題圏
第二節 京都学派の思想における主体
第三節 京都学派の思想における歴史
第四節 歴史において絶対無を自覚するということ
第五節 おわりに──歴史哲学と教育哲学の架橋
第六章 人はいかにして歴史の主体として生きるのか
第一節 はじめに──主体をめぐる残された問題
第二節 木村素衞の思想における主体の要件
第三節 主体はいかにして「自覚」するのか
第四節 高坂正顕の思想における知性の重視
第五節 おわりに──歴史において主体を生きるということ
終章 無の場所としての学校教育の構築へ
第一節 京都学派の教育思想からの示唆
第二節 今後の研究課題
第一節 問題の所在
第二節 教育哲学の領域における京都学派への着目と、切り離された「負」の側面
第一章 戦後の教育学における京都学派
第一節 はじめに──京都学派とはだれのことなのか
第二節 戦後の教育論争における京都学派
第三節 教育学におけるポストモダンと京都学派の再評価
第四節 木村素衞研究から「京都学派教育学」へ
第五節 おわりに──「歴史的主体」形成の教育理論の探究へ
第二章 高坂正顕の教育思想
第一節 はじめに──高坂正顕の教育哲学と歴史哲学
第二節 歴史的世界の構造について
第三節 歴史的基体への着目
第四節 歴史哲学から教育哲学へ
第五節 おわりに──「無」の思想の可能性と問題性
第三章 なぜ歴史の主体でなくてはならないのか
第一節 はじめに──「期待される人間像」と無私の思想
第二節 高坂の逆超越と西田哲学の逆対応
第三節 歴史的世界における逆限定
第四節 歴史的世界の「無」的性格とその根源について
第五節 おわりに──歴史的主体の論理としての高坂哲学の可能性
第四章 木村素衞の教育思想
第一節 はじめに──木村における形成概念の歴史性
第二節 『表現愛』(1939年)における歴史の問題
第三節 『国家に於ける文化と教育』(1946年)における歴史の問題
第四節 おわりに──京都学派の教育哲学と歴史哲学
第五章 歴史的主体形成の思想としての京都学派の教育思想
第一節 はじめに──歴史的主体の形成という京都学派の問題圏
第二節 京都学派の思想における主体
第三節 京都学派の思想における歴史
第四節 歴史において絶対無を自覚するということ
第五節 おわりに──歴史哲学と教育哲学の架橋
第六章 人はいかにして歴史の主体として生きるのか
第一節 はじめに──主体をめぐる残された問題
第二節 木村素衞の思想における主体の要件
第三節 主体はいかにして「自覚」するのか
第四節 高坂正顕の思想における知性の重視
第五節 おわりに──歴史において主体を生きるということ
終章 無の場所としての学校教育の構築へ
第一節 京都学派の教育思想からの示唆
第二節 今後の研究課題