新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
語られ続ける一休像
戦後思想史からみる禅文化の諸相
中世後期の禅僧・一休宗純(1394-1481)。
アニメなどを通じて絶大な知名度を持つ一方、実像については謎の多い存在である。
とんち坊主、反骨と風狂の破戒僧、茶道の祖・村田珠光の師……自著『狂雲集』『自戒集』の難解さも相まって後世の「一休像」はむしろ数多の逸話や伝説を通じて語られ続けてきた。
これらのエピソードは、信憑性に欠ける伝承と片付けてよいものだろうか?
前田利鎌、芳賀幸四郎、市川白弦ら知識人が語る「一休像」から戦後禅思想を再考する。
アニメなどを通じて絶大な知名度を持つ一方、実像については謎の多い存在である。
とんち坊主、反骨と風狂の破戒僧、茶道の祖・村田珠光の師……自著『狂雲集』『自戒集』の難解さも相まって後世の「一休像」はむしろ数多の逸話や伝説を通じて語られ続けてきた。
これらのエピソードは、信憑性に欠ける伝承と片付けてよいものだろうか?
前田利鎌、芳賀幸四郎、市川白弦ら知識人が語る「一休像」から戦後禅思想を再考する。
まえがき 日本人を魅する「面構え」――個人的な体験から
序 論 一休の〈像〉は如何に形成されてきたか――室町期から戦後日本へ――
はじめに
一 何故一休なのか――その〈像〉研究の意義
二 一休宗純の生涯――その素描
三 一休〈像〉の形成過程
四 一休〈像〉という媒介を通して何が語られたのか――「伝統」と「近代」
おわりに
第一章 一休像の近代的「発見」――前田利鎌の「禅」を手がかりに――
はじめに
一 前田利鎌の立場と問題意識
二 「一所不住の徒」一休への眼
おわりに
第二章 戦後日本における中世禅文化論と一休の像――芳賀幸四郎を中心に――
はじめに
一 芳賀幸四郎の着眼――戦後における一休論の嚆矢として
二 芳賀の問題意識と一休の像との対応関係――学術的問題と実存的問題
三 「東山文化」論と一休の像
おわりに
第三章 市川白弦の一休像――「即」の論理の批判的継承として――
一 市川における問題意識
二 「即」の論理と「風流」――市川における一休の像
おわりに
第四章 二十世紀の「禅学」と一休像――柳田聖山の視座を再考する――
はじめに
一 柳田の一休解釈
二 ふたつの「禅学」――久松真一から承けた枠組
三 「禅」そのものへの回帰
おわりに
補 論 「瞎驢辺滅却」をめぐって――一休と臨済禅への研究覚書
はじめに
一 臨済における「滅宗興宗」の精神はどう語られてきたか
二 「瞎驢辺滅却」と一休――『狂雲集』におけるその精神をさぐる
おわりに
終 章 禅門と俗世と一休の像――論のむすびとひらき
はじめに
「語る」一休と「語られる」一休とを探求すること
あとがき これまでとこれから――一休を通して「禅文化」をたずねるということ
序 論 一休の〈像〉は如何に形成されてきたか――室町期から戦後日本へ――
はじめに
一 何故一休なのか――その〈像〉研究の意義
二 一休宗純の生涯――その素描
三 一休〈像〉の形成過程
四 一休〈像〉という媒介を通して何が語られたのか――「伝統」と「近代」
おわりに
第一章 一休像の近代的「発見」――前田利鎌の「禅」を手がかりに――
はじめに
一 前田利鎌の立場と問題意識
二 「一所不住の徒」一休への眼
おわりに
第二章 戦後日本における中世禅文化論と一休の像――芳賀幸四郎を中心に――
はじめに
一 芳賀幸四郎の着眼――戦後における一休論の嚆矢として
二 芳賀の問題意識と一休の像との対応関係――学術的問題と実存的問題
三 「東山文化」論と一休の像
おわりに
第三章 市川白弦の一休像――「即」の論理の批判的継承として――
一 市川における問題意識
二 「即」の論理と「風流」――市川における一休の像
おわりに
第四章 二十世紀の「禅学」と一休像――柳田聖山の視座を再考する――
はじめに
一 柳田の一休解釈
二 ふたつの「禅学」――久松真一から承けた枠組
三 「禅」そのものへの回帰
おわりに
補 論 「瞎驢辺滅却」をめぐって――一休と臨済禅への研究覚書
はじめに
一 臨済における「滅宗興宗」の精神はどう語られてきたか
二 「瞎驢辺滅却」と一休――『狂雲集』におけるその精神をさぐる
おわりに
終 章 禅門と俗世と一休の像――論のむすびとひらき
はじめに
「語る」一休と「語られる」一休とを探求すること
あとがき これまでとこれから――一休を通して「禅文化」をたずねるということ