新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
宮城顗選集2 講座集 I
真宗とは
一、念仏の利益
一、理性はいのちの一部分
二、思い込みの心を破る
三、本願は三悪趣の現実から出発
四、三つの言葉を失った世界
二、生死を離れる
一、宗教の多様性
二、生死を離れることのできる教え
三、生死の世界は孤独な世界
四、人間としての感覚と感情を育てる
三、念仏の信心
一、ありのままの自分に帰りたい
二、仏教はどういうあり方を私のうえに開くのか
三、念仏は仏と私のキャッチボール
四、人間はおおよそ一文不通のともがらだ
五、けっして救われたというところに立たない
四、往生浄土の道
一、「後生の一大事」とは人生に驚きが立つこと
二、後生の一大事と現生の一大事
三、常識は知識ではなく共通感覚
四、仏の両足は智慧と慈悲、人間は邪見と?慢
五、人生は私になにを期待し、なにを願われているのか
五、二尊一致の教え
一、釈尊は徹底して苦悩にもがかれた人
二、人間釈尊が、人間として苦悩された
三、送金を通して心を受け取る
四、法蔵は人間のいのちの底に流れている願心の名
五、二尊二教を通して二尊一致の信心としてたまわる
六、すくい
一、救いを求める二つのタイプ
二、「挙身投地」は身だけ、「五体投地」は身も心も
三、釈尊が韋提希の前に五体投地された
四、生きる感動、喜びが私のうえに開かれてくる
七、迷信について
一、迷信と迷心
二、どういう心で信じているのか
三、理性が人間を迷わせる
四、人間を豊かにしていく道が正しい信心
五、愚者になるとき人間として成就する
八、宿業の教え
一、私の人生の現実に責任を感じる
二、常識とは人間として身に持っているべき感覚
三、宿業は運命論ではない
四、「宿業」は身の事実の重さを受け止めた言葉
五、宿業の自覚は責任と使命の発見
『観無量寿経』序分に学ぶ 『現代の聖典』をテキストとして
一、『観無量寿経』という経典
一、『観無量寿経』と『無量寿仏観経』
二、「なお存在せりや」
三、「この児と共に母子となる」
四、いのちそのものの願い
五、自分の人生に対する確信
六、真理は考えるものではない
七、人生を貫く縦糸
八、自分に感動する自分が蘇った
二、証信序・化前序
一、如是我聞が歩みをひらく
二、自分自身を愛する
三、「供養」の意味
四、いよいよ聞かずにおれなくなる
五、苦しみのゆえに真実をたずねる
六、ほんとうの幸せ
七、私の一生、なんだったのだろう
八、『観無量寿経』の独特な形態
九、起こってきた事柄を通して真実を求める
三、禁父縁
一、言葉の響きを聞く
二、「としての私」に振り回される
三、「口を漱ぐ」
四、四衆
五、「?忽の間に」
六、四食
七、禁父縁と禁母縁の区別
八、人間の根っこが問われた事件
九、習慣により生活が形をとる
十、阿闍世はたんに個人の名ではない
十一、時を逃さない
四、禁母縁
一、両重の因縁
二、戒とは生き方を問いなおすこと
三、人みな等しく出会いうる世界
四、栴陀羅をつくる心
五、家族関係の重さ
六、人間は尊敬すべきもの
七、凡夫としての愚かさ
五、厭苦縁
一、苦しみの因を明らかにする
二、不安から通請への展開
三、情願の底に動いているいのちの願い
四、この私が私になりたい
五、阿難を尊者と称する意味
六、私たちの心はいつも二重底
七、『観経』は存在に応える教え
六、欣浄縁
一、安楽世界は穢土に応える願心の世界
二、特別ではなくて独自
三、開かれた窓をもつ精神世界
四、自分の苦悩が痛焼されているのを感じる
五、「我よく一分をよくするのみ」
六、通請から別選へ
七、三つの「捨」
八、法の世界を韋提希に見せた
九、楽は欲願愛悦の心
七、散善顕行縁
一、「此を去りたまうこと遠からず」
二、成じ難きことが明らかになる 三、三福の行
四、真の豊かさとは
五、関係を求めている存在
六、身の事実に帰れば響いてくる世界
七、念仏の大行を顕す縁
八、定善示観縁
一、聞と思が求められる
二、いつも自分だけの幸せを計る
三、定善は「計算する思惟」を破る観法
四、未来世の一切衆生のため
五、『観経』は末世の人々のために説かれた経典
和讃に学ぶ
一、広大会を帰命せよ
一、言葉には響きがある
二、「釈」の字の意味
三、人が多く集まるという徳
四、誰にでも偏りがある
五、生がそれに依り、死がそれに帰する
六、ふと気がついたら帰るところがない
七、茶室と喫茶店
八、十方衆生を諸仏として見いだす
九、いなかの人々の中にある「まことのこころ」
十、その力なくして徳をたまわる
十一、自分が耐えてきた苦しみは手放せない
十二、かけがえのなさにおいて、みんな等しい
二、講堂道場礼すべし
一、阿弥陀のいのちは、さとりではなく願い
二、阿弥陀如来は凡夫が仏になられた名
三、浄土がかぎりなく私に歩み寄ってくる
四、人生の中に道場があるのではない、人生が道場
五、苦悩の世界そのものを空しくさせない
六、人間だけは教育しなければならない動物
七、なんでもわかったことにしている暗さ
八、常に「我が」というところで塞がる
三、無明の闇
一、帰命尽十方無碍光如来を本尊とされた
二、一番背いている私が照らされていた
三、光としてのはたらきを「如来」という
四、先生の最後の仕事は亡くなるということ
五、自分に担えないような妨げはけっして起こらない
六、闇の世界は手探りの世界
収載論文講演・初出一覧
あとがき
一、念仏の利益
一、理性はいのちの一部分
二、思い込みの心を破る
三、本願は三悪趣の現実から出発
四、三つの言葉を失った世界
二、生死を離れる
一、宗教の多様性
二、生死を離れることのできる教え
三、生死の世界は孤独な世界
四、人間としての感覚と感情を育てる
三、念仏の信心
一、ありのままの自分に帰りたい
二、仏教はどういうあり方を私のうえに開くのか
三、念仏は仏と私のキャッチボール
四、人間はおおよそ一文不通のともがらだ
五、けっして救われたというところに立たない
四、往生浄土の道
一、「後生の一大事」とは人生に驚きが立つこと
二、後生の一大事と現生の一大事
三、常識は知識ではなく共通感覚
四、仏の両足は智慧と慈悲、人間は邪見と?慢
五、人生は私になにを期待し、なにを願われているのか
五、二尊一致の教え
一、釈尊は徹底して苦悩にもがかれた人
二、人間釈尊が、人間として苦悩された
三、送金を通して心を受け取る
四、法蔵は人間のいのちの底に流れている願心の名
五、二尊二教を通して二尊一致の信心としてたまわる
六、すくい
一、救いを求める二つのタイプ
二、「挙身投地」は身だけ、「五体投地」は身も心も
三、釈尊が韋提希の前に五体投地された
四、生きる感動、喜びが私のうえに開かれてくる
七、迷信について
一、迷信と迷心
二、どういう心で信じているのか
三、理性が人間を迷わせる
四、人間を豊かにしていく道が正しい信心
五、愚者になるとき人間として成就する
八、宿業の教え
一、私の人生の現実に責任を感じる
二、常識とは人間として身に持っているべき感覚
三、宿業は運命論ではない
四、「宿業」は身の事実の重さを受け止めた言葉
五、宿業の自覚は責任と使命の発見
『観無量寿経』序分に学ぶ 『現代の聖典』をテキストとして
一、『観無量寿経』という経典
一、『観無量寿経』と『無量寿仏観経』
二、「なお存在せりや」
三、「この児と共に母子となる」
四、いのちそのものの願い
五、自分の人生に対する確信
六、真理は考えるものではない
七、人生を貫く縦糸
八、自分に感動する自分が蘇った
二、証信序・化前序
一、如是我聞が歩みをひらく
二、自分自身を愛する
三、「供養」の意味
四、いよいよ聞かずにおれなくなる
五、苦しみのゆえに真実をたずねる
六、ほんとうの幸せ
七、私の一生、なんだったのだろう
八、『観無量寿経』の独特な形態
九、起こってきた事柄を通して真実を求める
三、禁父縁
一、言葉の響きを聞く
二、「としての私」に振り回される
三、「口を漱ぐ」
四、四衆
五、「?忽の間に」
六、四食
七、禁父縁と禁母縁の区別
八、人間の根っこが問われた事件
九、習慣により生活が形をとる
十、阿闍世はたんに個人の名ではない
十一、時を逃さない
四、禁母縁
一、両重の因縁
二、戒とは生き方を問いなおすこと
三、人みな等しく出会いうる世界
四、栴陀羅をつくる心
五、家族関係の重さ
六、人間は尊敬すべきもの
七、凡夫としての愚かさ
五、厭苦縁
一、苦しみの因を明らかにする
二、不安から通請への展開
三、情願の底に動いているいのちの願い
四、この私が私になりたい
五、阿難を尊者と称する意味
六、私たちの心はいつも二重底
七、『観経』は存在に応える教え
六、欣浄縁
一、安楽世界は穢土に応える願心の世界
二、特別ではなくて独自
三、開かれた窓をもつ精神世界
四、自分の苦悩が痛焼されているのを感じる
五、「我よく一分をよくするのみ」
六、通請から別選へ
七、三つの「捨」
八、法の世界を韋提希に見せた
九、楽は欲願愛悦の心
七、散善顕行縁
一、「此を去りたまうこと遠からず」
二、成じ難きことが明らかになる 三、三福の行
四、真の豊かさとは
五、関係を求めている存在
六、身の事実に帰れば響いてくる世界
七、念仏の大行を顕す縁
八、定善示観縁
一、聞と思が求められる
二、いつも自分だけの幸せを計る
三、定善は「計算する思惟」を破る観法
四、未来世の一切衆生のため
五、『観経』は末世の人々のために説かれた経典
和讃に学ぶ
一、広大会を帰命せよ
一、言葉には響きがある
二、「釈」の字の意味
三、人が多く集まるという徳
四、誰にでも偏りがある
五、生がそれに依り、死がそれに帰する
六、ふと気がついたら帰るところがない
七、茶室と喫茶店
八、十方衆生を諸仏として見いだす
九、いなかの人々の中にある「まことのこころ」
十、その力なくして徳をたまわる
十一、自分が耐えてきた苦しみは手放せない
十二、かけがえのなさにおいて、みんな等しい
二、講堂道場礼すべし
一、阿弥陀のいのちは、さとりではなく願い
二、阿弥陀如来は凡夫が仏になられた名
三、浄土がかぎりなく私に歩み寄ってくる
四、人生の中に道場があるのではない、人生が道場
五、苦悩の世界そのものを空しくさせない
六、人間だけは教育しなければならない動物
七、なんでもわかったことにしている暗さ
八、常に「我が」というところで塞がる
三、無明の闇
一、帰命尽十方無碍光如来を本尊とされた
二、一番背いている私が照らされていた
三、光としてのはたらきを「如来」という
四、先生の最後の仕事は亡くなるということ
五、自分に担えないような妨げはけっして起こらない
六、闇の世界は手探りの世界
収載論文講演・初出一覧
あとがき