新聞掲載広告(2024年9月~) - 2024.11.19
宮城顗選集10 教行信証聞記 Ⅰ
三心一心問答講義
一、我一心と「信巻」三心一心問答との関係
一、「信巻」の中心課題
二、平等の根拠は如来回向
三、各発の心と共発の心
四、「我一心」の位置づけ
五、衆生をして仏に出会わしめなければ教ではない
六、無問自説とは自己自身を問うたということ
七、『阿弥陀経』は一なるものを明らかにしている
二、大信の意義
一、正なるものを明らかにする
二、信心で救われるのではなく、信心が救い
三、流布語としての我
四、身の事実に返ったところに仏道を見いだした
五、願心に呼応する我
六、如来の心をたまわる我一心
七、教法が人間の事実に相応する
八、すでにして悲願いますという感動
三、論主建めに「我一心」と言えり
一、解義分としての三心一心問答
二、三心が信楽の一つにおさめられる
三、浄土に生まれたものが、浄土を開く身となっていく
四、信心がかぎりない生活を開く
五、さとりをえることよりも、信心をえることのほうが難しい
「真仏弟子」釈
一、真の仏弟子釈
一、真なるものがなければ仮も偽もない
二、貪瞋煩悩の中にのみ、よく清浄願往生の心を生じる
三、師弟はどこまでも独立者と独立者の関係
四、悪を顧みることなき人
五、聴く人の中に仏を見いだす
二、金剛心の行人
一、弥勒は自力の金剛心の菩薩を代表する名
二、念仏衆生は金剛の信心をえたるひと
三、「聞」が『無量寿経』の根本語
四、感激と懺悔が同時に深められる
五、「すなわち」の文字の使い分け
六、見は観の成就をあらわす
七、凡夫の身にして忍を得る
八、あいえた法が私をうながし続ける
収載論文講演・初出一欄
あとがき
一、我一心と「信巻」三心一心問答との関係
一、「信巻」の中心課題
二、平等の根拠は如来回向
三、各発の心と共発の心
四、「我一心」の位置づけ
五、衆生をして仏に出会わしめなければ教ではない
六、無問自説とは自己自身を問うたということ
七、『阿弥陀経』は一なるものを明らかにしている
二、大信の意義
一、正なるものを明らかにする
二、信心で救われるのではなく、信心が救い
三、流布語としての我
四、身の事実に返ったところに仏道を見いだした
五、願心に呼応する我
六、如来の心をたまわる我一心
七、教法が人間の事実に相応する
八、すでにして悲願いますという感動
三、論主建めに「我一心」と言えり
一、解義分としての三心一心問答
二、三心が信楽の一つにおさめられる
三、浄土に生まれたものが、浄土を開く身となっていく
四、信心がかぎりない生活を開く
五、さとりをえることよりも、信心をえることのほうが難しい
「真仏弟子」釈
一、真の仏弟子釈
一、真なるものがなければ仮も偽もない
二、貪瞋煩悩の中にのみ、よく清浄願往生の心を生じる
三、師弟はどこまでも独立者と独立者の関係
四、悪を顧みることなき人
五、聴く人の中に仏を見いだす
二、金剛心の行人
一、弥勒は自力の金剛心の菩薩を代表する名
二、念仏衆生は金剛の信心をえたるひと
三、「聞」が『無量寿経』の根本語
四、感激と懺悔が同時に深められる
五、「すなわち」の文字の使い分け
六、見は観の成就をあらわす
七、凡夫の身にして忍を得る
八、あいえた法が私をうながし続ける
収載論文講演・初出一欄
あとがき